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再び3について考える

3という数位の魅力に嵌まっています。苦笑

間違っても、聖数3の二乗とか、オカルティックナインとか言い出しませんからね。苦笑

まぁ、こんなこと書く時点で何を言っているんだと突っ込み入りそうですが。

個人的には、3というのは素数の2番目の数字ではありますが、ある意味万能な数字ではないかなぁと思っていつも隙間時間ができると考えてしまうのです。

考えてみてください、3つの線で、最小限の面を構成できるし、多角形も結局は三角形の集合体ですよね、三角形だけで立面を作る三角錐も出来ますよね。
この場合は、面に時間軸が入ることで完成する訳ですけどやはり三面体の仲間と言えそうですね。
そんな風に考えると、改めて、3という数字は面白いなぁと思うわけです。

少し興味があったので、色々と調べてみますと聖書では、3が神聖な数字いわゆる、聖数として扱われているようです。

その辺をコトバンクから引用させていただきましょう。

宗教的体系のなかで特別な意味をもち,聖なるものを象徴的に表わすために用いられた数。ユダヤ教において特に神聖な数と考えられたものには次のようなものがある。1-神の唯一性を意味する (申命記6・4) 。3-犠牲として3歳の羊,牛 (創世記 15・9) および3つの祭り (出エジプト記 23・13) など。4-方位あるいは四隅から,完全数とみなされる。・・・・中略
以上のなかでも新約の時代においては,三位一体を表わす3が特別な意味を有するようになり,また特に『ヨハネの黙示録』では,聖数が象徴的に用いられている。

ということで、完全性を表す数字として、3はキリスト教では独特の世界感をもつ数字として扱われていたと言えそうです。
・・・・うーん、今回も中途半端な内容で終わってしまいそうだなぁ。
まだまだ、十分自分の中で言葉として落とし込めていませんが、相変わらず3という数字の魅力について考えてしまいます。

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