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情報の渦に飲み込まれているあなたへの処方箋

今日も思うことを思うままに書いてみようと思います。

中々毎日書くと言うことを意識していても書けないもので、逆に書かないといくらでも先送りにしてしまいそうになります。

最近特に思うことは、最近は情報が多すぎて、人は結果的にその情報を処理し切れていないのではないかと思ってしまうわけです。

それが、結果的にストレスになり、AIの進化だとか、ビッグデータの活用だと言われて、自らが考えると言うことを放棄している、そんな人が増えているように思えるのです。

その昔は、自動車を運転するのも写真を撮影するのも、それなりのスキルが必要でした。

車であれば、クラッチのつなぐタイミングであったり、シフトのタイミングを知る事が重要でした。

それが、最近ではオートマチック車が一般的になり、マニュアルシフトの車に敢えて乗ろうという人が減ってきました。
私は、若い頃からミッション車を乗り継いで、軽自動車に乗っているときでも、ミッション車を選んで乗っていましたが、16年ほど前かな、AT車を初めて買ったら、改めて運転が楽だなぁと思ってしまって。

それ以降は、ATしか乗れなくなってしまいました。

もっとも、最近は車自体乗ってないのですけどね。苦笑

まぁ、それは余談ですが、かように自動化とかが進むとそれまでのスキルが不要となって、誰でもが自由に扱えるようになるわけです。

その反面、それ故に、表面に見えるものは単純化されて行く傾向に有り、詳細はますますブラックボックス化して行くわけです。

パソコンなどもその最たる例でしょうね。

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昔のDOS(Disk Opereting System)なんて呼ばれていた頃では、それこそ難解な呪文を入力してみたいな雰囲気がありましたが、最近ではMacは昔からですし、windowsも、LinuxもGUIと呼ばれる、アイコンを選ぶことで使えるのが当たり前になってきているわけですね。

逆に言えば、細かい設定などを知らなくても使えてしまうわけですよね。

でも、これって考えれば凄く危険なことと隣り合わせなんですね。

便利な部分だけを見せて、悪い部分は隠しておく、都合の悪いことは隠しておく。

これが可能になるわけです。

昔のように使いこなしにスキルが必要な場合であれば、そうした不都合な部分をどのようにクリアするかというスキルも持つことになりますが、そうした部分がブラックボックス化されると、不都合な問題が生じても、それをそのまま受け入れるか、その行為自体を辞めなくてはならなくなるわけですね。

言ってみれば、制作者の思うつぼなわけです。

そう考えると今の世の中って、情報が多すぎて処理できない、それなら、情報をコンパクトにまとめてあげましょう、俺であなたも情報強者です・・・そう言われて実際には、その作成者の都合の良いようにニュースなり、情報が編集されていたらどうなるでしょうか?

結局、作成者にとって都合の良い人間が増えることになりますよね。

だからこそ、気づいて欲しいんですね。

本質を見抜く力というものを一人一人が身につけないと、結局は都合の良い人間にされてしまうわけです。

情報でも何でもそうですが、安易に手に入ることで、自分自身で考える機会が無くなってしまうと、結果的にそれは情報を流したものの、思うままに動かされてしまうと言うことを気づくべきではないでしょうか?

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