見出し画像

想像力が未来を変える?

今日は朝方に不思議な夢を見ました。

潜在意識からの流入なのでしょうが、色々なアイディアが流れ込んできます。

ただうつろな記憶と言うことで、そのまま記憶の彼方に流されてしまうことがあるようです。

実は二つの夢を見たのですが、その一つは教育ソフト、ホームページなどを自動で作成してくれるソフト・・・そんな夢でした。

まぁ、実際にそうした事を行っている会社もあるのかもしれませんが。

素材を投入すれば構成まで行ってくれる・・・みたいなものでした。

まぁ、実際にはホームページではなく、番組だったかもしれませんが。

それがわずか7万円ほどで買える・・・みたいな。

そんな変な夢でした。

しかし、実際にそんなことが出来ないだろうと思うことがサクッと出来てしまうのが夢の世界であり、物語の世界でもあります。

そして、改めて思うことは、

「物語と現実の境界線は意外と低い」

のかもしれないと言うことです。

そんな風に感じるわけですね。

というのは、我々が子供の頃。

今から50年ほど前には、壁掛けテレビが誕生し、腕時計形のデバイスでテレビ電話のようなものが出来るとか語られたものでした。

また、映画ではバック・トゥ・ザ・フユーチャーの2作目では30年後には自動車が空を飛ぶ世界が・・・実際には空は飛ばないものの、当時は想起されていなかった「インターネット」の商用利用が解禁されて、我々は仮想空間という新たな世界を手に入れる事が出来ました。


考えてみれば、到底無理筋であろうと思われること、すなわち夢であったり物語というのは、未来を想像する原動力になるわけですから、漫画やアニメの世界だからと言って終わらせるのは勿体ないわけですね。

逆説的に言えば、異世界転生的なものや、スカッとする漫画的なものよりも荒唐無稽なサイエンス・フィクションと呼ばれるような空想科学物語の方がより未来を語る上で大事な気がするわけですね。

未だに昔の映画のリメイクがなされる背景には、そうした意識が少なくともみんな持っているからじゃないかと思うわけですね。

想像力こそが未来を変える原動力であり、その想像力を養うものは荒唐無稽な科学物語であるべきなのではないかと思うわけですね。

子供にこそ、想像力を養えるような荒唐無稽とも言える、想像力を駆使した空想科学物語が大事なのではないかと思ってしまいますね。

異世界転生では、どこまで行っても現在の並行世界もしくは、1700年代のヨーロッパ諸国のような貴族への転生物語ばかりではさらに自らを閉塞的な世界に追いやるような気がします。

まぁ、その主たる要因の一つにSNSの台頭もあると思いますけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?