迷走しません瞑想します
武人と文人のヨタバナ(与太話)
他人軸の現代人
なんで他人軸で生きてしまうようになったかの成り立ち
●搾取ゲームのプレイヤー誕生(マーケティング戦略のドツボ)
●ブルシットジョブ誕生(衣食住は飽和してる...こんなに働かなくていいはず...)
●仕事人誕生(生きる基礎の生活を忘れて栄養不足、寝不足、運動不足)
この3点が重なって判断力が欠ける。→判断力が欠けた者がこの3点の循環の中で浮遊。→他人軸というゾンビ誕生。
組織化不要、個に還る
私が感じている組織とは、「この色この形の組織があります。それに当てはまる様に自分を変えてください。」というもの。なので、自分という個性を忘れてしまった。
だからまず、組織を離れて個性を思い出す作業を行う。
そして、個性を思い出したもの同士が集まったら自然と組織になるという意味合い。
※武人考察:祭祀・祈りの原点、それは「いただいた個を生きる」の確認作業だったのでは...同じ地球に生きる者同士の精神的な結びつきを再確認し、それぞれの生きる個のフィールドへ戻る。祈り、とはそういうものだったのかも...?
縄文時代=アートを嗜む世界だったから平和だった?
違いを認め合う世界。自己表現は必然的にみんな違う表現となり、どれも素晴らしいものとなる。正しい間違い、良い悪い、強い弱いではないので、戦わないのではと思う。
※武人考察:上の話に同じ、いただいた個がすなわち尊い芸術であることを受容していたのでは...
ストーンサークルは音叉?
ストーンサークルは祈りの場だったらしいよ。が前提にあっての話で、そこで祈りを行うことで、ストーンに祈りを響かせてより遠くへ祈りを響かせる共鳴装置の役割があったと思った。
※武人考察:地球の音、場により聴こえる音多分違う、本来ひとつの音、濁ってしまったそれらを浄化してもとのひとつの音に統一する、ゲームの終焉、みんな対等(武人、そういう神社作りたい)
私たちは死者の力を借りて生きている
毒キノコを食べて死んだ人がいたから、毒キノコってのが分かるとか。津波があってたくさんの人が亡くなったんだよって石碑を建てた人がいたから、もっと高いところに住もうってのが分かるとか。
自分が今生きているのは、過去に生きてきた人たちがあって生きている。だから、死者の力を借りていると言える。誰かが亡くなった時と言うのは、これからを生きる力を受け継いで感謝することなのかもしれない。
※武人メモ:大湯環状列石で武人は空に向かってオーイ!オーーーーーイ!!!と叫びました、何故そうしたかよくわかりません、でも空の向こうに誰かいると思いました。大湯環状列石からの去り際、振り向いたとき、沢山の人に手を振られました(見えてねえけどな)。わかりました!わかりましたよ!!と言いながら武人の目から汗が流れてビビりました。頭沸いてる。
珍事件の意味
※武人メモ:ちょっと俄には理解しがたいことが起こってるな!!下剋上の星まわり、どんぴしゃりだな!!ぬおおおどうする?俺たちどうする???爆
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