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【雑記】ルッキズムをめぐる葛藤


先日、仕事で「ゆりかもめ」に乗って豊洲に行った。新しい企画の相談のためである。

平日の午前であり、しかも「まん延防止等重点措置」の適用中とあって、人はかなり少なかった。

「15分くらい前には先方に着きそうだ」と思い、歩調を緩めて改札に向かうと、人影が──。

そのまますれ違おうとすると、僕の生体内センサーが反応する。

そこで、ぱっと視点を向けると、美人である。

はっきりとした眉に豊かな黒髪。年は27歳くらいだろうか。全体が、ほのかに上品で、ちょうどよい。子どものころからピアノかフルートを習って来た、そんなイメージの女性である。

しかも、流行りのリブ編みデザインのグレーニットワンピ。あえて緩めな着こなしが、ほのかにセクシーである。ちょうどよい。

folk通販サイト(https://folk-media.com/1877498)より


すれ違って、一瞥いちべつしただけだから、この間、0.5秒ほどだが、少しハッピーな気持ちになった。これからの打ち合わせも、きっと順調に進むに違いない。

そんな幸せな気持ちで、Googleマップを見ながら、駅の階段を降りた時、ふと考えた。

美人が近づくと、なぜ、生体内センサーが働くのだろう

そして、

美人を見ると、なぜ、心が弾み、ハッピーになるのだろう


◆ハンディキャップとルッキズム


●容姿による格差

人の機能や形態、能力の差そのものよりも、そのことによる社会的不利(ハンディキャップ)に着目する「障害モデル」という考え方が欧米を中心に広がりだしたのは、1960年代のことである。

特に先行したのが社会福祉の先進国、イギリスである。「ハンディキャップの解消は社会の義務」とする現在のバリアフリー論は、イギリスで生まれ、世界に広がった。

その後、「ハンディキャップの解消」の対象は、障害、人種、性差(ジェンダー)にとどまらず、様々な方面に拡大していった。そのなかで問題として持ち上がってきたのが「容姿による格差」である。

ダニエル・S. ハマーメッシュ著『美貌格差: 生まれつき不平等の経済学』(東洋経済新報社、2015年)(https://www.amazon.co.jp/dp/4492314539/toyokeizaia-22/)より


ずっと、私のnoteを見て下さっている方ならご存じだと思うが、私はかなりリベラルである。人種論、公民権運動、差別論、障害論、格差論にはそこそこ詳しい。基本的には、マイノリティ目線である。


そのうえで言おう。

やっぱり、美人大好き!! 美人、最高!! \(^o^)/

だって、美人を見ると、それだけで心がハッピーになるし、それは生物としての根源から出てくる欲求だから、しかたないよね?


それに、美人を見ると、男は元気になるものである。局部ではなく、全身の話である。

前々から思っていたが、疾病の回復過程において、美人の看護師さんの果たす役割は非常に大きい。医師による治療の次に、重要なのではないか。特別な診療報酬加算の対象にすべきではないだろうか。

あ、女性患者の場合は、イケメンの男性看護師も加算対象にすべきである。

まあ、そんな話はさておく。


●ルッキズム批判

「美」とは何か、というものを定義するのは大変難しい。これは言語を超えて、厳然と存在するものである。

美に生物学的起源を求める考え方を進化美学(ダーウィン美学)という。その考え方によれば、人間以外の動物においても、美しいものを尊重するという美的感覚が存在するとのことである。クジャクやマンドリルなどの例が分かりやすいが、それ以外の動物も「美しさ」を感じ、主に性的選択に使っているという。

この辺りは『美の進化──性選択は人間と動物をどう変えたか』(リチャード・O・プラム著、白揚社、2020年)に詳しい。2018年のピューリッツァー賞ファイナリストに選ばれた著作だ。


「美とはなにか」「どのように感じるのか」は、現在でも、生物学や認知神経科学などにおいて、重要な研究テーマである。

しかし近年、「美」に対するルッキズム批判が、勢いを増している。ルッキズム(Lookism)とは、「Looks(外見・容姿)」と「ism(主義)」を足した造語で、外見によって人間を評価する価値観(外見至上主義)のことである。

ルッキズム批判も、ハンディキャップ論から生まれたものである。いわば、「容姿による格差」の解消である。

近年では、ルッキズム批判を意識して、ミスコンテストの取り止めや内容変更が相次いでいる。大学のミスキャンパスも、内面も含めた人格の総合評価をするコンテストに変える動きがある。だが、それでは選ばれなかった出場者は「総合的に劣る」という評価になり、容姿だけで選ぶよりも残酷なものになるのではないか。また、性差別を助長するとして、性別関係なく出場させる動きも、的外れと思う。

毎日キレイ(https://mainichikirei.jp/article/20220312dog00m100005000c.html?photo=001)より


◆ルッキズム批判の歪み


●美人・イケメンは1つの能力

ルッキズム批判は、悩ましい。確かに、容姿は自分では変えられないもので、それで評価されるのは理不尽である。私の主義からすれば、同調したいところだが、しかし理屈抜きで考えれば、美人が大好きなのである。

確かに、美人はあらゆる場面で得をする(それに伴う苦労もあるが)。ある超高名な世界的な研究者がいて、私の会社もお世話になっていた。クリスチャンで、非常に人格者の方だったが、晩年は美人の女性の編集担当者にしか会わなかった。死に際して、男性性として正直になったのである。

チームに美人がいると、それだけで仕事がはかどるものである。相手が男性ならが、美人記者の方が圧倒的に取材を受けてもらいやすく、いい情報を取って来る。また、美人はトラブル対応にももってこいである。

このようにビジネスにおいて、美人(イケメンも)はとても利用価値がある。これが、太古の昔から続く、まぎれもない現実だ。それを理屈で変えることは、不自然ではないか。

Photo AC(https://www.photo-ac.com/)の無料素材


ルッキズムを意識するあまり、ファッションショーや雑誌モデルに美人を使うことを批判する動きがあるが、それは違うだろう。

美しいものは美しい。かっこいいものはかっこいい。これが自然に言えない社会は、抑圧ではないか。美人、イケメンは、その人の能力の1つである。それを使って、それが評価されて、何が悪いのか。


●平等ではなく公平を

ちなみに、僕はイケメンではない。

何度も段取りを重ねて女性と親密になっても、途中で現れたイケメンに女性をかっさらわれた経験も多くある。ただし、それは僕の総合点が、彼の総合点にかなわなかったということである。努力して、他の魅力を向上させればよい。

ある人が性差論で述べていたが、完全に「平等」は不自然だし無理なのだ。

重要なのは、チャンスと取り扱いの「公平」である。その後は、個人の努力である。

ただしもちろん、ユニークフェイスとよばれる、顔貌に病気や怪我などによる変形、大きなアザや傷のある当事者は別である。彼らは、ハンディキャップ解消の対象となるべきだ。

また、摂食障害を助長するような「やせすぎモデル」も解消すべきである。


さて、いろいろ理屈をこねくり回したが、最後に大きな声で言いたい。


正直に行こうぜ。

美人、バンザイ \(^o^)/

イラストレーター 床山すずりさんの作品(https://suzuriya.com/)


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ウラノけいすけ
ネットで検索したら「ネット乞食」という言葉に出くわしました。酷いこと言う人、いるなー。でも、歴史とたどれば、あらゆる「芸」は元々「乞食」と同根でした。サーカス、演芸、文芸、画芸しかりです。つまり、クリエイトとは……、あ、字数が! 皆様のお心付け……ください(笑) 活動のさらなる飛