努力の継続ができない人間はゆっくりと朽ち果てる

概要

学校で習得した申し訳程度の努力継続力をいつの間にか失い、何も習得できなくなった。

なぜそうなったのか、学生時代あたりから考えてみた。

あと念のため書いとくが、これらはすべて私独自の解釈でーす。

学校はよいところ

小中高はよいところだ。たとえ彼らのいうところの偏差値ゴミなところでも

教養と、学習の習慣の癖を作るきっかけをくれるからだ。

こいつらは後々大事になってくる。

頭のいいやつと秀才レベルで学生時代必死に努力して知の貯蓄を行った連中を除けば、社会で生きていくために学習行為は必須(まあ行ってもアホだったり運が悪かったりすると失敗するが)だからだ。

ちなみに社会で生きるとは底辺でなんとか生活できてるよみたいなうんこまんは一切入れてない。かくいう私もうんこまんだった。今はそれですらないが。

そして学校は何よりコミュニケーションの大切さを教えてくれ...

はしないが、コミュニケーションによって成り立つ小さな社会を提供してくれる。学校を卒業してから気がついたが、これも非常に珍しく、重要な場である。

では、それらに気がつかず、さらにはその望まれた意図とは検討違いな思想で生活した場合どうなるのだろうか。

何かに没頭していた場合はまだ良い。最悪それを極められるし、今回のテーマ?である努力の継続も身につく。まだマシな方。

没頭してなかった人間はどうなる?実はそんなことはなくて、没頭してないと見せかけて彼らはコミュニケーションにある意味没頭している。

彼女ほしーとか部活うんぬーんとか。あそこらへんのこと。まあ没頭とまではいかんくても、ある意味自分で考えて、コミュニケーション、社会について無意識に考えて、学習していると思う。

ではこれらに当てはまらない社会のダニ候補君はどうなる?

突然、異世界転生に巻き込まれてチート能力を得るか、

実は正義感に満ち溢れてて、何かの拍子にライダーベルトを手に入れたり、ウルトラマンと合体?したりする。

これらのイベントがない場合、大体の場合はよくて前述したうんこまん、悪いと私みたいな一年就活してもどこにも拾ってもらえないゴミになる。

努力の継続

そこそこ難易度のある資格試験って何をみてたんだろうと今になって考える。

もしかすると、根本的には努力の継続の確認ではないだろうか。

ここで、私が今度受験予定の資格試験、データベーススペシャリストという試験がある。

この試験は前通っていた学校曰くだいたい三ヶ月前から準備して受かるとのことだった。

もちろん応用や基本で点が取れる前提で、だ。

例外は当然あり、以前見たTLでは別のスペシャリスト試験だが、ノー勉で受かったぜ^〜みたいなのをみた。学校でも数個のスペシャリストを一発でとりまくる人間もいた。

私の通っていた学校は世間的には頭が良くない人たちが通ってたので当然学生で三ヶ月継続して学習というのは過剰だと思う。

それを考慮しても努力の継続が必要だ。

私の肌感になるが、応用情報は範囲内の技術の深掘りをしつつ、過去問を毎日二年分くらい解説を一通り考え抜いた上で解き続ける行為を二ヶ月続けてかつ得意目な科目がでて初めて合格するレベルだった。

太字で囲った部分は弁護士だの技術士だの税理士あたりのような上を見れば大したことはないだろう。

しかし私は性格が非常に悪いので、

応用以下の資格にすら受からないゴミに何言われても常に見下しており、たまに笑ったりもしてる。Twitterとかでたまに見かけるけどメンタル少し回復するので助かる。感謝一切しないけど。

応用を笑っていいのは応用に受かったやつだけだ。

応用以上をもってる方に関しては平伏^〜って感じですね。何も言い返せない。

まあ、学生時代はこのいかにも普通の人でもできそうなレベルは学校ブーストしてた私でもなんとかできた。

努力するフリ

社会人になると、私はプログラマとしてレベルをあげたいと思い、競プロを始めたり、触ったことのない言語を触ったり、自宅に簡単なネットワークを構築したりした。

最初の一年は順調かに見えた。

私は少し前までこの行為を本物の努力と勘違いして、その行為を繰り返していた。

その、努力ではない別の行為とは努力するフリである。

私は、楽しくて楽なことしかやってこなかったのだ...。

努力とは

では努力とはなんだろう。

つまらないこと?苦労すること?違う。

では楽しいこと?これも違う。

感情など関係ないのだ。

私が思う努力とは、ただの研鑽。つまらなかろうが、たのしかろうが、すべて自分のためになる行為を平等に行うことだと思っている。

そして何より努力とは結果。

成功して初めて努力になる。

失敗してもそれは糧になるという意見はわかる。

しかしそれを成功につなげられなければただのゴミである。

真の努力ができる人間とは、成功するまで継続できる者を指していると私は信じている。

その後の私

偽物の努力だと気がついた時点で、私は努力ができなくなっていた。

具体的には

まず、成功するまで体力が保たない。

楽しいことを短いサイクルで回し続けた弊害だ。

これにより興味があるプロジェクトでも私は5日以上続けることができなくなった。

次に、楽しいことばかりをやってきた弊害で、苦しいこと、特に数学周りに一切手がつけられなくなった。これにより手をつけられる分野の範囲がかなり狭い状態で固定されている。

長い期間同じことに集中できない。

興味はないが、重要な題材に集中できない。

これらは致命的欠陥だ。これに加えて私は精神疾患と鬱をもっており、

とどめで一年の無職期間と数回の休職期間がある。

詰み、である。

感想

人生を完走した感想ですが、

次があれば、真っ先に努力スキルをあげたいと思いました。

リンク

データベーススペシャリスト試験(DB) ~ ビッグデータ時代に求められる、データ志向の担い手 ~IPA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?