短歌についての閑話

 引っ越しなんてできないと思っていた。

 都会と田舎どちらが好きかと尋ねられたら、都会は素晴らしい場所だけれど田舎に住むことしかできないだろうと答えていた。三十年間ずっと。でも実際のところわたしは田舎に住んではいない――都会にも住んではいない。わたしは海のそばの、街と呼んでいいのかわからない程度の、中途半端な場所に住んでいる。八百屋と肉屋と魚屋と米屋があるけれどそれが商店街を作っているわけでもない。住宅街という言葉が想起させるほどまとまった造成が行われたという印象も受けない。家やマンションがばらばらと建っていて海辺には高層マンションがある、こういう空間のことをなんと呼ぶのかよくわからない。

 「不思議の国」みたいだと思う。

 わたしの定義のなかになかった街だ。

 定義という言葉はわたしの人生に最初の時点からずっとまとわりついていて、いまでもずっと一緒にいる。わたしは田舎に住んでいない。わたしはバス停まで二十分かかり、夜ホトトギスが鳴くあの場所にもう住んでいなくて半年ばかり帰っていない。残してきた荷物をまた整理しなくてはならないのだけど。ここは田舎ではない。それは定義だ。ここは海辺だ。それは定義だ。そしてわたしがこれまで街の象徴として扱ってきた、商店街、あるいは大型スーパー、あるいはショッピングモールといった輝かしい資本主義の形跡もここにはない。本屋まで歩いて二十分かかる。まあ、それは、以前バス停まで歩いていた距離と同じなのだけれど。

「梨が買える」

「そう、まだ買える。今でも買える」

 暖房をつけた部屋で同居人が、女性の姿に形容される洋梨をひとつ、つま先で転がしている。つま先にきれいに塗られたマニキュアも、海辺では買えない。百円均一ショップは本屋の隣で、それは駅前で、駅前まで行けばなんでも買えるしどこにでも行ける。

「この街の定義のひとつ。梨が買える」

 うん、と同居人は頷く。彼女の薄着に耐えかねてわたしが暖房をつけたものだから、彼女はセーターを脱いでしまった。秋口と同じようにシャツ一枚で暮らしている。いたちごっこだ。彼女は青色に塗られたつま先を揺らしながら、それで必要十分だという感情を表情に浮かべる。

 わたしは迷い、それから、こんなかたちから口火を切りなおしてみる。

「わたしは短歌という詩歌の定義がいまでもわからない。短歌はわかる?」

「ご、なな、ご、なな、なな」

 おそらくわざとであろう拙い言い方にわたしは少し笑う。「そう。五七五七七。それ以上にあそこで求められているものが何なのかわたしにはさっぱりわからない。先生についたこともない。どれが良い短歌でどれが悪い短歌なのか全くわからない。当然作り方も説明できない」

「でもあなたはそれを作る」

「わたしはそれを作る。そして少数の人がそれを読んでおもしろいと言う。わたしは短歌を作る友達はほとんどいないから、短歌を作らない人だね、おもしろいと言うのは、ほとんど。少なくとも誰かにとって何らかの価値はある。そしてわたしも自分の短歌を悪くはないのではないかと思う。何らかの価値はあるんだ。でもそれが何なのかはわからない」

「不思議の国」

「そう。不思議の国の言葉を使っている。どうして使えるのかもわからずに」

「不思議の国に住んで、不思議の国の言葉で喋っている」

「――たぶんそれをポエトリーと言うのだと思う」

 定義がわからないまま。

 短歌がずっと作りたかった。十五年くらいの間ずっと作りたいと思っていた。たくさん本を読んで、たくさんの短歌に触れた。でもまったくわからなかった。わたしはフィクションの扱い方と小説技法しかなく、「私」の文学と呼ばれる短歌の「私」とは何かということも、韻文の意義とは何かということもわからなかった。二十八歳の秋まで。

 二十八歳の秋、小説が書けなくなった。

 物語の根源とはA点からB点へ移動しA点へ戻ることだと、たしか瀬田貞二が言っていたと思うし、わたしもそれを志していた。二十八歳の秋、わたしは移動ができなくなった。そのかわりわたしは瞬間のことを考えていた。

 そして唐突に短歌が作れるようになった。

「わたしはずっと、文章を書くということを、継続を描くことによってしか扱えなかった。でも短歌を作りたくてどうやったら作れるのかわからなくて、でも短歌のことをずっと考えていた。そして唐突に、わたしが移動できず瞬間を拾い上げることしかできなくなったとき、短歌について考えてきた全てが機能した」

「定義はできなくても」

「定義はできなくても方法はわかった」

「だからそれができた」

「わたしはずっと、田舎に住みつづけるしかないんだと思っていた。都会は怖いと思っていた。でもここはどちらでもない。どちらかというと都会でどちらかというと田舎だ。でもここでは洋梨が買えてそれで十分でしょうとあなたは言う」同居人は目を細める。言っていないと言いたいらしい。言っているよ。

 言葉にならないものを掬い上げて名づける。それが定義だ。

「引っ越しはできる。短歌も作れる。わたしはきっとやりたいことがなんでもできる。必死でしがみつけば。しがみついていられるなら」

 洋梨をついと彼女の細い指が拾い上げる。

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