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チュウレンジバチと薔薇、そして名探偵の定義

 わたしの名前はチュウレンジバチで、チュウレンジバチは薔薇に卵を産み付けて茎に瑕をつくり、生まれた子供たちは薔薇の花を食べつくす。わたしたちは食べ続ける。わたしたちは食べ続ける。わたしたちはなにかを食べ続ける。母は言った。「一口ごとにその罪を感じなさい」

 終りのために食べているわたしたちは常に罪人だと、母が言った。

「東京で観なくたっていいじゃない、宝塚に行けば? 本拠地のほうの」

「あのねえさっちゃん、東京にはさっちゃんがいて、劇場もあるの。違いは歴然としている」

「またァ」

 向田咲花という名前はわたしがつけたものではない。長女の頼子と、わたしの例の後輩(わたしの例の後輩である)の提案によるものである。彼らは仲が良い。後輩が頼子に性的なまなざしを向けているのではないかと言う視座もあるが、わたしはその心配には当たらないと思っている。

 わたしたちの捕食の関係は、思いのほか複雑で、一義ではない。

「何食べたの」

「カレー」

「たいめいけん」

「さっちゃんは賢いねえ」

「お姉ちゃんのことも名前で呼んであげなよ」

「やだよ。あいつはおれの大事な麩饅頭なんだよ」

 わたしたちは生きているだけで罪を重ねているのです。

 わたしは友達がいない。あの魔法のような濃密な夜、わたしを取り囲んでいた誰だか分からない誰かのほかに、これからも生涯友達というものを持つことはないだろう。わたしがかつて愛した、あの小さな女の子、大学生だったわたしの下宿のとなりに住んでいた、ネグレクトを受けていた女の子が、わたしの膝の上で笑っていたとき、感じていたものがなんだったのか、愛情、友情、性愛、それとも。わたしの名前はチュウレンジバチで、少女は薔薇だった。わたしは通報をした。彼女が振り返ったとき、わたしは目を見なかった。

 タっちゃんはうちにこないで。お母さんがタっちゃんを嫌いだから。

 わたしの人生には友達も恋人もいない。弟と娘と息子はいるが、それを家族と呼ぶかどうかは極めてあいまいな問題だと思う。弟は猫を看取ってくれた。頼子は上品な妻というロールモデルを完璧に演じてPTAと地域福祉を仕切っている。智史は中東で日本語教師をしており、当人はこれを父の放浪癖の影響によるものだと言うが、どう考えても彼の事実上の父たるわたしの後輩(彼はかつて人生をぐちゃぐちゃにされる前日本語教師を志していた)の影響である。そうして咲花は堅実な労働者としてオフィスカジュアルとは何か完璧に理解をした姿でわたしを迎えに東京駅にやってくる。

 彼らの前に薔薇が現れたとき、おそらく彼らは薔薇を食いつくすことなく、傷つけることもなく、おだやかに冷静に誠実に対処するだろう。わたしが彼らを「生んだ」というのは、きわめて曖昧な問題だと思う。

 えみちゃん、ごはん食べに行こう。

「さっちゃんおれねえ、この人と、30になるまで家で飯食ったことなかったの。30のときいろいろあってね、この人失踪して、まあ、おれは、そういうところがあるので、見つけたんですけどね。おれはほんとうにそういうところがあるからね。そのあとふたりでカレー食ってね。はり重で」

「おいしいの?」

「おいしいよ。それでお持ち帰りのカレーがふたり分でね、おれそれ指さして、来年はおまえとこれ食いたいなって言ったの」

「……それで?」

「君が産まれた」

 わたしは食事がおいしいと思ったことも楽しいと思ったこともなかった。生きるのが楽しいと思ったこともなかった。心から笑ったこともなかった。生きてゆくことは罪なのだと思っていた。虫ピンであらゆるものを止めながら、全てが壊れてゆくことを、本当は望んでいたのかもしれなかった。――全て暴き立ててわたしの心臓のなかにあるなにかを指さして、きれいだから見たかったと言われたかったのかもしれなかった。

「えみちゃん」

 咲花が呆れたように笑って立ち上がる。男がわたしを振り返る。

「えみちゃんいつまでもパンフ見てないでふとんで寝な」

 わたしの人生には友達も恋人も家族も薔薇もいない。

 ただ探偵がひとりいる。



角のお好み焼き屋――角のお好み焼き屋

果物がたくさん載ったタルト――マリオデザート

アイスクリームチェーン――サーティーワンアイスクリーム

食べ飲み放題三千円――居食屋とり楽(あるいはそのようなあらゆる)

ごはんのおかわり自由――とんかつ浜勝

何がブレンドされているのかわからないハーブティー――(特に名を秘す)

イタリア風のデザートピザ――(プライバシー保護)

気取ったパン屋――(プライバシー保護)

テンションの低い定食屋――花あかり

強気なラーメン屋――(プライバシー保護)

駅の老舗チェーンのかけそば――生そば処 水車

駅の老舗チェーンのパフェ――カフェ風車

銘菓――紅葉堂

内臓に似ているアーケードのライスプディング――墨国回転鶏料理

わたしによく似ていて似ていない名前の酒――(特に名を秘す)

チュウレンジバチと薔薇、そして名探偵の定義――はり重カレーショップ


スペシャルサンクス

新星急報社

鬼火

なれなれしいひとまつげもやすちゃん

ダムるし

そのほか、向田忠夫氏の受肉に関わったすべて


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