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トイレの蓋が開いている件について

最近、トイレの蓋が開いていることが多い。

僕はトイレの蓋は閉めるタイプである。神経質なほどに閉める。理由は、お金が貯まるようにすることである。トイレの蓋というのは、「金隠し」で、お金が隠れているので、蓋をしておく方がいいと、成功者の講和で聞いてから、蓋を閉めるようにしている。合わせて、汚いトイレというのも運が逃げるので、定期的なトイレ掃除は欠かさない。

それなのにトイレの蓋が開いているのである。僕にとっては一大事だ。トイレの蓋が開いている理由は、遊びにきた彼女が用を足した後に閉めないからである。

たぶん、前の僕なら、「トイレの蓋を閉めろよ」とキレ気味に注意をしていたと思う。人間の習慣というのは意識しないと変えられない。だから、注意をしても変わらないことがある。でも、もう一度閉め忘れていたら、完全にキレていると思う。それくらいに僕は度量の小さな人間だ。しかも、52歳という年齢を考えれば、度量が小さいどころか、人間的にみっともないレベルであろう。

なぜ、こんなにも度量が小さいのかと言えば、自分に自信がないからだ。だから、自信を持つためには、何らかの形で成功し、お金を稼がなければ世間に認めてもらえないと真剣に考えていた。ならば、現実的にそのように努力をすればいいだけの話なのだけど、僕は超自然的な呪いに頼るところがある。その方が楽だからだ。

彼女は今日も蓋を開けたままトイレから出てくる。僕が使う時は蓋が開いている。だから、僕は用を足してから蓋を閉める。

こんなバカバカしいことが、違いを受け入れるということだと言えば、あなたは笑うだろうか?

僕は違いを受け入れられずに、結婚生活を破綻させたし、お付き合いをした人ともひどい別れ方をしている。どうでもいいようなことがどうでもよくなくなる。自分の思い通りにならなければ我慢ができない。結果、相手のいいところが見えなくなり、八つ当たりのように関係を終わらせる。後には、辟易、怒り、嘲笑など、相手にお詫びのしようもない過去が積み上がる。

やはり、今日も彼女はトイレの蓋を開けている。そして、僕は閉める。

トイレの蓋を開けている彼女は僕に自信を与えてくれることが多い。よく褒めてくれる。自信を持つとは、自分を信じることだと言いつつ、呪いを重視していた僕は、少しだけ変わったのだろうか。所詮はトイレの蓋であるけど。

些細なことを些細だと思えることが余裕だとしたら、ほんの少し余裕ができたのだろうか。

なぜ、あんなに些細なことで怒っていたのか。

それはトイレの蓋が開いているからでなく、鍋を焦がしているからでもなく、買い溜めた食材を冷蔵庫で腐らせるからでもなく、待合せに遅刻してくるからでもない。

僕は僕に怒っていたのだ。

だから、もう、人に怒りをぶつけるのはやめよう。


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