棚の本:小さな倫理学入門
山内志朗先生による倫理学についての、静かな小品集。
くまとら便り
時々、布団や毛布などの大物を持って、コインランドリーに行きます。
風通しと日当たりの良い店内の椅子に座って、本が読めたら、その日の幸福度があがります。人の出入りが適度にあるのもいいのです。
本を読み、静謐な心持ちに浸るというより、除菌すすぎ機能付の大型洗濯乾燥機が回っている間、心の中の動物が尻尾を振ったり、寝そべったりしている感じです。
丸洗いと併存する、私のくつろぎ。有用な蕩尽。
洗濯の義務はつつがなく果たされ、最大多数の最大幸福も、社会の善悪も考える必要はありません。
本書は、そんなコインランドリーでも読める、とても薄い倫理学の本です。
山内先生が倫理学のキーワードをふんだんに使って綴る、読みもの・エッセイといった風情の本です。
読んでいると、「眠りに入るのは難儀な仕事です…年を取るとどんどん大仕事になってきます」(11<私>もまた暗闇の中にありき)、「私は若いころ人生において涙なんて要らないと思っていました」(13涙の中の倫理学)と吐露する先生のことが、どうにも気になってしまいます。
最後の章では、山内先生のお子様の出生の日にまつわるエピソードも出てきます。
後書きには「書いた本人は傷だらけで」とあり、傷つきやすさの告白の本でもあると分かります。
ーだから、こんなに気になってしまったんだ。
倫理学を知らなくても、味わいのある文章ですが、各章の終わりには参考文献の紹介もあり、おそらく知識が増えるほど、滋味深くなる一冊だと思います。
ー実は、これを書いている前日、家の洗濯機が故障しました。
コインランドリーに行く理由ができて、喜ぶ私がいます。
理由は往々にして、自己正当化の道具として強い力をもっていて、洗濯機は修理か買い替えか、色々面倒なことには目をつぶり、動かない洗濯機を理由に、コインランドリーに通い続けたいような気がしています。
日々の生活と全く同じように、社会の善悪を考えてよいのかは、正直よく分からないけれど、ひとつづきでないはずはなく、倫理学という学問も、人の感覚、感性を取り扱っているように見えます(排斥したり、中心に据えたり。)。
本書は、倫理学の世界に踏み込もうとする人に石を投げつけることなく、考えようとする人を拒絶することなく、ヒントを差し出してくれます。
卑しさや弱さを抱えた人のための倫理があります。
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