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棚の本: ハレルヤ

保坂和志さんの短編集。
猫の花ちゃんのお話など。

 くまとら便り

灼熱から逃れようと、旅に出ました。
函館に着いてみると、海から湿った空気が入ってくるせいか、思いの外蒸し暑く、冷房のない古い路面電車に乗ってしまうと、窓から風が入っても汗が少し浮かびます。
五稜郭タワーや函館山は、視界に入れば、前に訪れた時のことを思い出すので、午後はあまり出歩かず、旅の目的のとおりに、部屋で読書をすることにしました。

函館のデパート丸井今井の6階にある、函館栄好堂に行き、棚をじっくり見ながら『ハレルヤ』を購入しました。落ち着いた書店でした。
これを書きながら検索をしたら、丸井今井が百貨店事業から撤退するという記事に行き当たってしまい、一度訪ねただけの函館栄好堂が、心の中で大きくなっていきます。

『ハレルヤ』も、読後に存在感がだんだんと増してくるような、そんな本です。

「ハレルヤ」と「生きる歓び」という2作品は、猫の花ちゃんについてのもので、特に、愛猫の最期を見送ったことのある方は、その描写に格別な思いがするのではないかな、と。

内田百閒の『ノラや』という本に、確か、行方不明になってしまった猫への深い深い情愛と混乱した心境を綴ったものがあったと思うのですが、「ハレルヤ」「生きる歓び」には精神の混乱はなく、花ちゃんたちに向けられる柔らかな眼差しがあり、瞳の最奥には歓びがあります。
猫からの、深い愛情も描かれています。


函館にいながら、函館山の記憶を再生していたからか、時間についての文章は、東京にいるよりすんなり理解できるような気がしました。

「過去の出来事は現在の私の心、というより態度によってそのつど意味、というのではなく様相、発色が変わる。」

「・・・時間においてはいつも過去と現在が同時にある、だからそれは時間というものではないのかもしれないし、過去と現在というものでもないのかもしれない。では未来は?それはきっとない、しかし未来を考えた途端に未来は生まれるが、それは姿を変えた現在と過去でしかない。」

「・・・この言葉は、過去は現在に先立つ、過去は現在にはない、過去は手の届かないところにある、過去は変えられない、結果には原因がある、出来事は結果をともなう、という窮屈な考えにがんじがらめだ・・・」

「ハレルヤ」

過去、現在、未来、原因、結果、そういう区別から少し離れるには、長く一緒に暮らした猫から教えをもらうのが、いいのだろうと思います。

『ハレルヤ』は、函館栄好堂のような、落ち着いた短編集です。


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