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「差別について」語っていい人

 若者たちの自由な発想、個性あふれる思考に、日々感心することしきり、なのである。
 が、それに反して社会の状況は、コロナ禍ということを抜きにしても、“閉塞感”に満ちている。テレビ番組などは「コンプライアンス」とかやらに締めつけられて、おもしろみ半減(いまこんな状況でみんなよく頑張ってると思う)だし、SNSをはじめとする言葉の世界では「差別」チェックに目を光らせる輩がうじゃうじゃ。
「サンショウウオのように過ごした」って怠惰な1日を自虐的に表して、「サンショウウオに失礼だ!」「差別発言だ!」って言われそう……とも呟いたけど、それが冗談じゃなくなる勢い。もうこのままじゃ、「表現の自由」どころか、人前で何かを言ったり行動したりすることができなくなってしまうよ。

 だいたいなんだよ、コンプライアンスって。エビデンスとかテレワークとか、なんでもかんでも英語にしちゃってさ。それがすっかり社会常識になって、英単語だらけの発言をする政治家や都知事がいるけれど、だったら全部、英語のスピーチにして、「全世界に向けて」発信してしまえ!って思うよ。たくさんの英単語交じりで話していいのは長嶋茂雄とルー大柴くらいだ。あれは“芸”だから。政治家のは“芸”じゃない。だからあの人たちの言葉なんて、ひとつも心に入ってこない。こういうことを書くと、また「英語に対する差別だ!」って言われちゃうのかね。やってらんないね。

 だいたいが、アメリカ発信なんだよね。「自分が100%悪くても謝っちゃいけない」ってのもそう。禁煙ブームもそうだし、差別についてもそうだ。もう、振り切り方が異常。それがアメリカの国民性だって言うのなら、それはそれで尊重しよう。でも、ここはニッポンだ。

 それにしてもホント、日本人は謝らなくなったよね。一時期は「日本人は『すみません』って言い過ぎだ」なんて言われてたけど、知らない人から「すみません」を言われたのって、何年前まで遡らなきゃいけないかなぁ。ちょっと記憶にないくらい。
 で、こっちが目的の駅で降りようとしてるのに、どかない人たちがいたりするから「すみません!」なんて元気に言うと、ものすごくびっくりした顔で周囲の人全員に一斉に見られたりする。あれだけ「すみません」を言い合ってた日本人から、“この美しい日本語”が完全に消えてしまった──それがいまのニッポンだ。う~ん、嘆かわしい。

 喫煙についてもそう。自分は喫煙者だ(っていうのも憚られる雰囲気の世の中……)が、ルールはきちんと守っている。歩きたばこなんてもちろんしないし、携帯灰皿は常に持っている。いや、だからって、その辺で吸ったりはもちろんしないよ。目的地に着いて、「ちょっと一服したいなぁ」なんて思ったら、延々とウロウロ喫煙スペースを探したりもする。稀少になった喫煙可の喫茶店に入って、飲みたくもないコーヒーを飲んだりもする。で、ようやく見つけた喫煙スペースに飛び込んで、同じような想いでそこに辿り着いた“同士”と肩を寄せ合って、小さくなって吸っていたりするのだが、そこをわざわざ近くまで寄ってきて、わざと咳をしたり、しかめっ面で手を左右に振って煙たがるフリをしたりする女(100%女!これは性差別でなく、ワタシの統計)が多い。人として、どっちがダメだよって。もちろん、ルールを守らない喫煙者は断罪されてしかるべき。でも、全員をいっしょくたにするのは、どう考えても異常だ。

 嫌煙家のやることは、本当にえげつない。件の女たちの振る舞いは、「喫煙者は人間じゃない」と言わんばかりの行動だろう。ひと昔前だったら、罵声を浴びせられるどころか、頬っぺた一発張られてもおかしくない行為だと思うよ。それが、やれ暴力行為だ、やれ暴行罪だとかその“結果”だけを取り上げるけどさ、人が生きる上で、「法律には触れないけれど、してはいけないこと」ってのがあるんだよ。それをわかってないやつが多い。

 そもそもが、差別差別って、異常なくらいの言葉狩りをしてる割に、喫煙者に対する差別は、全世界がどんどん助長してるじゃないか。だったら飛行機は「全面禁酒」にするとか、新幹線は「飲酒ルーム」をつくるとかしてみろって。「いや、タバコは関係ない人にも害を与えるから」って言うけどさ、酒だってそうでしょ。タバコ同様、匂いがダメって人もいるし。

 もちろん嫌煙家がいて当然だ。けれど、愛煙家への理解もあってしかるべきだろう。そういうバランスがきちんと取れている人だけだよ、「差別」について語っていいのは。

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