【似非エッセイ】何でも略しゃいいってもんじゃない

 昨日たまたまネットニュースで見つけた記事が、今朝になっても頭から離れず、ひとりでも多くの人に読んでほしいと思ったのでTwitterとFacebookにリンクを貼った。井筒和幸監督が、映画を倍速で観る風潮、いわゆる「タイムパフォーマンス」を優先する時代を憂えているというものである。
 ここに要約を書いてしまうと、そもそも井筒さんが、否、自分自身の主義を否定してしまう形になってしまうから、ここにもリンクを貼る。なので、ぜひ全文をしっかりと読んでいただきたい。

 で、一昨年(2021年)の10月に、私がこのnoteに書いたものも、併せてリンクを貼っておきます。

 上記は、矢吹正道(緑)が寺地拳四朗(BMB)を破った初戦についての批評を書いた際、たった一文だけを抜き取られ、それがSNSで拡がり、いわゆる“炎上”したことを受けて書いたもの。当然ここに要約を書くつもりもないので、やはり全文をしっかりと読んでいただきたい。まともな人には私の言いたいことは伝わるはずなので。

 そもそも「タイムパフォーマンス」なんて言葉を知らなかった。それを略して「タイパ」なんて、「○麻パーティー」とか「タイ料理パーティー」しか思い浮かばない。
 記事タイトルは文字数が限られているので、短くするのには多少の理解はある。が、だいたいが「エビデンス」だの「フェーズ」、「サスティナブル」、「コンフリクト」、「バイアス」等々、何でもかんでも英語っぽくする世の中の風潮も大いに気に入らない。こんなに美しい日本語というものがあるというのに、何故使わない?
 まったくもって偏見なのだろうが、「日本語が不自由な日本人に限って、ああいう言葉を使いたがる」と思っている。どう? 当たらずとも遠からずじゃない?

 あ。ボクシング記者としては、「ロマゴン」、「ジョニゴン」なんて略して話してしまうことはあった。でも、記事にするときは逆に「ローマン・ゴンサレス」、「ジョニー・ゴンサレス」ってちゃんと書くように心がけている。身内内でふざけて「デビヘイ」なんて言うこともあったけど。あ、これは「デビッド・ヘイ」。「ッド」しかカットしてないけど。

 個人的に、芸能人の名称略はしないなぁ。「キムタク」なんて生まれてこの方1度も言ったことがない(どうしてものときは「木村拓哉」とフルネームで言う)。これは決然と意識して。好き嫌いはさておき、「キムタク」って口にした途端、ものすごいファンぽく思われちゃいそうだから。
 そうそう、そういえばこんな自分でも、大学生のときに、左手首にブレスレットをつけていたことがあった。それは憧れのキース・リチャーズと同じもの。手錠が知恵の輪状態に連なっていて、ジャラジャラするやつ。すっかりキース気分になって、毎日学食に直行直帰していたのだが、「なんかそれ、木村も付けてるってよ」って誰かに聞いて、速攻外した。木村くんもキースの真似をして付けていたようなのだが、一介の一般市民のオレが付けていたら、「木村拓哉に憧れている」って世の中の9割は思うに違いない。だからやめたのだった。

 話を「省略」に戻す。自分は『架空OL日記』の酒木さん(山田真歩)に近いのかもしれない。「マツモトキヨシ」「三軒茶屋」「インスタグラム」ってちゃんと略さず言うし。
 なんかこう、「流行に乗ってます」ヅラする自分が気持ち悪いから。世間の人からすれば、妙なこだわりかもしれないけど、別に略さなくても全然苦じゃないので。

 時間の効率化については、忙しい人ほどしっかりと自分の時間を持っているという印象で、あの人たちは時間の使い方、作り方が上手なんだろうな、と思う。だから、「観る時間がない」「読む時間がない」というのは言い訳にすぎない。要は「やる気がないだけ」なんだろう。
 どうせ寝っ転がって、鼻毛でも抜きながらダラダラとスマホ眺めてんでしょ。で、短文のたいして中身のないネット記事をたくさん見て「読んだ気(知った気)」になってるだけっしょ。それは倍速で作品を観飛ばすのと一緒。別にオレがやらされるわけじゃないから他人がやってもどうでもいいけれど、それじゃあ記事中の人や作品を批評する権利はないからな。それだけはしっかりと覚えておくべきだ。 


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