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あとがき・反省会みたいなもの

中編(短編?)小説の連載を終えた。もともとこの作品は、とある秋の文学賞に向けて書いたもので落選がわかったのち、すみやかにnoteに掲載することにした。載せているうちにやっぱり思ったのが、この作品で「何が言いたいのか?」という根本的なものが掘り下げられていない、ということだった。つまり、作品の主題やテーマを考え抜いていない、だから読み終えても「???」が残る。文体・構造などの技術的な問題を考える前に、作品を考えるということをしておかねば、どんどん小説を書いていっても「結局はよくわからない」という所感が残る作品ばかり生み出してしまう……なんていうことを考えたりした。

おととしは、仕事を始めたばかり、というせいもあってか、精神的な余裕がなくあまり創作活動ができない年だった。去年の春過ぎくらいになってからようやく、小説の執筆にあてる時間をつくることができ、勤務後の30~40分で小説をコツコツと書き溜めて何本か応募することができた。でも、結果は振るわない。もともと、賞の選考に引っかかるほどの人間ではないけど、かれこれ小説を書いてきて10年。それでも、選考にかすりもしない事態に淡い危機感のようなものを感じた。小説を「なんとなく」で書いていった結果なのだろうと、今では思う。

「成果主義に陥ると本質を見失う」。焦っている(でも行動は超スロー)自分への自戒として、そう言い聞かせたりした。(心理的に)焦るよりも、今は書く小説に対して誠意を込めて考え抜くことなのだと。なんだかすごく肩に力が入っている意気込みだ。

そういうこともあって、今年の3月末に出した作品は、主題やテーマについてノートに何ページにもわたり書き散らして自分なりに考えた。でもポメラを開くと、場面が動かない、エピソードが動いていかない、となかなか苦戦したりもした。伝えたいことを考えながら書いた作品ではあるけれど、応募した数日後、その文学賞の応募数が過去最多と聞いてなんかすごくすごく脱力した。必死に考えて小説を書くのは、自分だけじゃないのだよね、と(当然ではあるけども)思った。

小説を書いているのに、本をあまり読んでいない、という現状もよくないなと思う。読んでいる本は海外文学に偏り、現代の日本文学を読んでいない。文芸誌を読んでいない。なので現代で「語られているもの」を知っていない。そんな状態で小説を応募しようとしている自分に、矛盾と少しの恥ずかしさを感じる。というわけで、先週に文芸誌を一冊購入した。まだぜんぶ読めていないけど、少しずつ咀嚼するように読もうと思う。

noteで反省会したってしかたない。と思いながら、ひとり反省会を書いている。自分の未熟さを紛らわすためには、次の作品に没頭するのがいちばんいい。次はまた秋の文学賞への作品を考えている。作者の頭の中で完結する小説ではなく、作者と読者の想像力(創造力)でもってつくりあげる作品が書けたらうれしい。現代の小説を読みながら、模索していこうと思う。




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