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夜から逃れる

 きみが最後のひとだよ、といわれたとき、わたしは保仁のその言葉を信じていなかった。髪を撫でるその仕草に、わたしは保仁の誠実さを感じられなかった。ただ、物をわからない子どもを、あやすような仕草だと、心のなかで軽く毒づいた。


 それでもわたしは保仁から離れたくなかった。



 雨が降りしきる夜は街のネオンが滲んでいて、わたしと保仁は夜から逃れるように、静かな場所を目指した。保仁の身体から、わたしの髪の先から、雨の香りが匂いたった。夜から逃れたかったのは実はわたしで保仁ではなかった。わたしは保仁に、会うなり、つらい、といった。つらい、といった駅のホームで保仁はうつむくわたしの、その腕を手にとり、じゃあ、逃げようか、と応じた。
 ペデストリアンデッキのうえは雨に濡れていて、保仁の、スーツパンツの裾に染みができていた。わたしは保仁の手にひかれ、幼子が母のあとをついていくように、少し早歩きになりながら、敷き詰められたタイルのうえを進んでいった。


 いつも夜がつらかった。それは保仁と出会う前から感じていたことで、遡ると、子ども時代にうまく寝つけられず、ふとんの端を握って、絶対に目を開かないようにしていた記憶にたどりつく。あの頃から、夜は、わたしにとって、とてつもない支配力を持っていた。生きることは、夜を越えることで、夜を越えることは、支配力から逃れ続けることだった。


 逃れ続けて、わたしと保仁は安いホテルにたどりついた。


 いつもそうだった。わたしと保仁との間に成立する会話は少なく、身体を使って、お互いをつなぎあわせた。言葉がないから、そうするのだった。労力を使いたくないから、そうするのだった。あなたは利用されているよ、と誰かにいわれたことがある。それはわたしと保仁の形だけしか見ていないからいえることであって、実際利用していたのは、わたしもそうだった。


 保仁はわたしの身体を、ふれたら端から崩れてしまいそうな、角砂糖を扱うように、使った。わたしは、保仁の身体を、しがみつくしかない絶壁の岩のように、さわった。長いことそのようにしていたら、わたしのなかの夜の気配が薄くなった。わたしは、夜から逃れられたような錯覚に陥った。


「もう、大丈夫かな」と保仁はわたしの長い前髪を払って、そう伺った。わたしは、うん、とうなずき、保仁のひろい肩に腕を伸ばした。保仁はわたしに、きみが最後のひとだよ、といった。わたしはその言葉を信じなかった。けれど、信じているふりをして、微笑んだ。


 保仁には帰る場所があった。保仁は、形式上わたしのものでは、なかった。保仁は、ふつうの大人の男だった。それは、わたしをなぜだか安心させた。
 夜には逃れられても、時間には逃れられなかった。保仁が、もう帰らないと、とベッドから腰をあげた。そのとき、自分はもう子どもではないのだということを痛切に感じられた。もう子ども時代など、とっくに過ぎ去っているのに。


 別れ際、わたしは保仁に聞いた。ねぇ、あなたは子どもだったことある? と。保仁は笑った。誰でもあるよ、と。
 でもわたしが聞きたかったことはそうではなくて、わたしといるとき、保仁は子どもの頃に戻ったような感覚になるかどうか、ということだった。でもそれを説明する暇もなく、電車がホームに滑りこんで、保仁を連れ去った。連れ去った、と感じた。


 夜はまだ残っていた。街の中に。空の中に。わたしの中に。
 わたしは背後からついてくるような夜の気配にかすかに怯えながらも、早足で、自分の家へと帰っていった。 

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