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父と初めての2人だけの外食。

うちの父ヨージはCRAZYな人だった。

それはおいおい書いていくつもりだけど、今日は私が親父にご馳走した話をしたいと思う。

うちの父ヨージは不健康のサラブレッドであった。
高血圧・糖尿病・肥満そして、脳梗塞を起こしていた。54歳くらいの時だったと思う。

脳梗塞を起こしたが退院して半年は働けたが会社的にはクビというか、辞めてくださいってことでまぁ……クビになった。

なぜなら父ヨージの脳梗塞での詰まった場所が前頭葉。そこがやられまして、欲が抑えられない人になっていた。

補足【前頭葉(ぜんとうよう)とは、大の前部分に位置し、人間の運動、言語、感情をつかさどる器官のことである。
前頭葉は、司る領域によってさらに「前頭連合野」「ブローカ野」「運動前野」「補足運動野」「前頭眼野」「一次運動野」に分けられる。
各領域は担っている機能が異なるため、障害によって引き起こされる症状も異なる。

【前頭連合野】
思考、判断、情動のコントロール、コミュニケーションといった高度な分析・判断を司る。思考力、創造性、社会性といった人間らしさの源泉ともいえる部位である(高次脳機能)。
人間の前頭連合野は大脳の約30%を占め、他の生物と比較して大きいため、複雑な行動をとることができる。
脳血管障害、脳外傷などによって前頭連合野に障害が起きると、注意障害、情動失禁、多幸感、易疲労性といった高次脳機能障害を引き起こす。】

そして、元々だらしないけどさらにだらしなくなっていた。まだらボケ。という状態で一応動けるしなんでも出来るってことでそういった施設などの預けができなかった。

これが私たち姉妹には非常に困ったのだ。

できるけど、できない。できるけどしない。

朝のごみ捨てを頼んでも捨てられない。
皿洗いを頼んでもできない。シンクに皿がつまり水が溢れても構わないし結局洗えない。
それこそお風呂は水は出しっぱなしで溢れても気が付かない。
料理をしようとして空焚きしちゃったり。
カロリー計算して作ったご飯じゃ足りないので私の貯金箱を持って買い物してしまったり……
一番困った酷い時は家を出てバスに乗り「おれは社長だ。」ってゆーて気前よく飲食店やお店で飲んで食べて無銭飲食やツケをしてまわる始末……。
この件は相手の方が優しかったので事件にはほとんどならず支払いして回る。お尋ね者の紙を配る。ことで済んだ。

姉も大変で私自身も17歳でワーワーのときであった。

もう母の死から1年でこれだったのでもうテンパイだった。

そんな時である。
父が倒れたときに父の母、私で言うばーちゃんが横浜からこちらにいた時であった。あれは母がなくなって半年の頃か。いろいろと家の事をしに来てくれていたがこれはこれでやっかいだったなぁ……(笑)

ばーちゃんというのもクセがつよく、〈孫よりなにより息子ラブ〉だった。だれもが母親ならそうなのかもだけどこれがしんどい。「ビヨちゃんお父さんが病気になったんだからお父さんのことこれからもずっと面倒見なきゃダメ」とか「お父さんのごはんこれだけじゃ可哀想でしょ?自分たちが我慢してでも親を支えるものよ」などなど。17の私には辛かった~(笑) 悪気がないのは今になって少しくらいはわかるけど、私は病院にいって食事指導うけて買い物して真面目に作っていたけど 父とばーちゃんに食べてもらうと味が薄いたら物足りんやらで大変だった。
結局ばーちゃんがスーパーに行ってお肉を焼いてあげたりなんやかんやしてた。それを見るのもストレスだった。そんな生活が1年続いた。

まぁ、そんなばーちゃんが父ヨージを連れて帰ると言うのだ。これに私たちは万歳三唱だった。(笑)
ごめんだけど本当に無理すぎて家は大荒れだった。

そして、父ヨージはふるさとへ帰って行った。
 そこからは姉は姉で素敵な旦那さんと出会い結婚した。私は私で金沢へと拠点を置きそれとなく生きた。3年の猶予は我々の生活を普通?にしてくれた。

 そこからだ。
ばーちゃんの面倒を見てくれてるオバサンから電話があった。「ばーちゃんがボケ始めてる。施設に入ることになるから父を引き取ってくれ。」

聞いた瞬間終わった……とおもった。(笑)
またあの地獄が帰ってくる……。

それはどうにかしたい。回避したい。
実家はもう姉たちの新居が立っているし
私もアパートなので父をむかえるには難しかった。

冷たいと思われるだろうがここに書ききれないほどの心労があったわけで。

4回ほど横浜へ行き 父とばーちゃんのソーシャルワーカーさんと面談をした。

横浜でもかなりのオイタをしまくっていた。
1年で500万以上を使い込んでいた。
ばーちゃんのへそくりも盗むし
出前とりまくっていたそうだ。
知らない女も家に呼んでいたそうだ。
ここまでくるとあっぱれだなおいであると思う。

そんなこんなで強制送還がきまってしまったわけで。(笑)

とにもかくにも石川へ帰ってきたらまずはどこまで脳梗塞の影響や病気が進んでいるかなど調べるために検査入院すること。

なので空港から空港へそこから病院まで直行である。

夕方になってもいいからといってくれた石川の病院に感謝である。

まず横浜へ迎えにいく。
オバサンから父ヨージを預かる。
ソゴウのサンドイッチやおにぎりを持たせてもらった。

おばさんは「ヨージさん子供に迷惑かけちゃだめよ。」と言った。父は歯抜けた間抜けな顔でニヤッと笑っていた。

バスで空港まで目指す。
その間やはり我慢ができないので「タバコが吸いたい」「お酒が飲みたい」ヤンヤンいっていた。
それに一つ一つ返す。
かわりに、おにぎりを食べてもらったりサンドイッチを食べてもらったりした。

やっと空港に着いたら 足を引きずるような歩き方なので乗務員さん?たちや受付の人?が車椅子を出してくれた。これがまた美人さんでして。
父大喜び。
ドカンと座って美人な2人に車椅子を押してもらえ気分が大きくなったのであろう。喫煙所に行きたいといい「おれはヘビースモーカーじゃなくてチェーンスモーカーだ」と自慢してた。

すぱーっとタバコを吸う。

気分が良さそうで何よりと思いながら喫煙所を見つめていた。

美人なおふたりは言いたいことがあったと思うけど何も言わず一緒にスモークータイムを待った。

それから優先的に乗せてもらった。
「おれはひとりで乗れない!どちらか横にいてくれ」とダダをこねたがそこは私が阻止できた。

1時間ほどで小松へ降りた。
そこではまた、お姉さんが手伝って下さりました。
ここでもスモークータイムということで
「おれはヘビースモーカーじゃなくてチェーンスモーカーだ」と言ってた。

ここまでくると逆に可愛く思えた私はやはり水より濃い同じものが流れているのだと思った。

ここから金沢の病院へ行く。
姉には直行で病院へと言われていたがなんかいろいろと思ってしまって「オトンよ、病院に入ると食事が思うように食べられない日々が続くと思うから食べたいものある?」と聞いた。
すると「金沢なら第七が食べたいな。あとビール。」そう言ったので連れていった。
お昼もすぎていたのですんなり入れた。

ビヨ「好きなも食べていいよ。」

ヨージ「ほんならまずは生ビールや。それからっけもんと焼20。」

ビヨ「20は一緒に食べるん?」

ヨージ「そや。あと、ホワイト30」

すこしだけ嬉しそうに頼むヨージにまぁいいか。沢山食べてくれとおもった。※このころの私は痩せてるのでそこまで食べられません。

どんと置かれた黄金の生ビールを口から迎えに行って飲む。

非常に美味そうに飲む。

飲む度にチッチッと口を鳴らす。野鳥でも呼ぶつもりか。奥歯でゴリゴリとつけものを噛む。
ごくんしたあとも。ちっちっと鳴らす。

最初にホワイトが置かれた。

おいしそうー!私も食べよう!と割り箸を割ったら父が「おい。第七の食べ方知っとるか?」そういって割り箸をしゃぶりこちらを見た。

父「こうするんや」

そういって全ての餃子に己の箸で穴をズボズボと開け始めたのだった。

わたしには衝撃的すぎて ひくというか、真っ白というか時が止まったというか…一気に食欲も消え去った。

父のズボズボは止まらず2皿もズボズボした。

そして、また箸をしゃぶり…

父「これで次食べる時にはちょうどよく冷めて食えるんや。中にラー油入れても美味いぞ」

そういって食べ始めた父。

私にはズボズボに穴の空いたホワイト餃子がまるで私のように見えた。

なんだこれは。だ。

一つ食べて 奥歯をギュギュと鳴らし、生ビールで飲みほし チッチッと鳴らす。

なんだこれは……。この状況はなんだ……。

私は白米と豚汁と次に来た焼5だけを穴をあけられる前に取って無になって食べた。

父は嬉しそうに生ビール5ハイも飲んだ。

そこから上機嫌の父ヨージをつれて病院は向かった。

「久しぶりに食ったけど美味かったな!このまんま飲みに行ってもいいな!」

ただひたすら無言で車を走らせた

ビールを飲ませたこと 病院の先生に叱られたが、

まあ、これが私の中で親父と二人で食べた初めての外食で最後の奢りだった。

……まぁ入院してからも散々されたがな。

ちっ。(笑)

それはまた別の機会に(笑)

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