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11/6-12/3 ノマドランド、自分の中に入る_s

公開時に観ようと思って機会を逃した(そんなんばっかりだけど)『ノマドランド』をアマプラで視聴。ノマド=放浪者として、季節労働に従事しながら車中泊生活を送る、5、60代の女性とノマドとして生きる人々を描いた作品。アメリカの最貧困層とおぼしき人たちの暮らしぶりは、気ままであるようでやっぱり厳しくはあるんだけど、そこには人と人との人間的な交流があり、果たして仕事って?人生で大事なことってほんとのところなんなんだろう?って問いかけてくる。みんなそれぞれ喪失感を抱えているようで、ちょっと観ていて辛い感じにもなる。それに個人的に既視感があり、しんどかった。厳しい環境の労働者によって支えられてる便利な私たちの生活ってそんなに素晴らしいものだろうか。とか。忘れてしまうんだよ。暖かい部屋、便利な生活の中にいると、、。うーん、うーんと唸りながら見た。主人公はAmazonの倉庫で働いたりしてる(アメリカではノマドの人たちに駐車場を貸して雇っているらしい)。しかしAmazon、よくこの作品を無料視聴の対象にしたなぁ。あえてなのだろうか。いや単純に観客動員数とか話題性で選んでるんだろうな。なんかすごいな。悶々。

としつつ、セール品をネットで買ったり、それこそAmazon使ったり。矛盾している、、と思いつつ、明らかに高いものをわざわざ買うのは勇気がいる。みなさんそのへんの葛藤をどうしてるんでしょうか。

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ヨガのクラスでヨガと登山が好きだと話をしていたときに、「どちらも自分の中に深く入っていく感じがすごく似ている」と表現したところ、sちゃんは好きなんでしょ、自分の中に入っていくのが、その感じはよくわかるよ、と言われてハッとした。たしかにその通りで、私が好きなものって「自分の中に入っていく」。海面が日常だとしたら、ヨガも登山も、ドバーン、ズブーン、、と沈んで、人の声も波の音も聞こえない深海の奥深くに潜っていく感じだ。波に乗ってサーフィンするのも魚を追って泳ぐのも楽しいけど、時々、ズブーン、、と深く潜らないとダメなのだ。深海には色鮮やかな景色も賑やかさもないけど、どうしたって時々深く潜らないとダメ。

最近は(山歩きをサボっているので)とくにヨガで、ずいぶん奥深くまで行ってきたぞ、、という感じが得られることがあって、終わるとすごく深い眠りについたあとのスッキリした感じに近い。集中すると周りの物音が遮断されて、身体とまわりとの境界線がだんだんなくなっていく。自分の存在が呼吸だけになる。身体が消える、というか、外界とひとつになる、というか。

もしかしたら信仰ってこんな感じなのかと思う。ヨガも山も信仰から来てるし。身体動かして自分の中に入っていく教?なら信じられそうだ。

いよいよ寒くなってきた。そろそろ山不足気味なのでよろしくお願いします。?






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