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中川龍太郎監督自らが観客の質問に回答!『やがて海へと届く』ティーチインイベントレポート

この度、4月15日(金)に渋谷・ホワイトシネクイントにて、絶賛公開中の『やがて海へと届く』を手掛けた中川龍太郎監督が登壇し、監督ティーチインイベントが開催されました。
質問は事前にツイッターで募集し、観客の気になる点、深堀りしたいポイントに監督自らお答えいただきました!

トーク前、観客と同じスクリーンで本作を鑑賞した中川監督は客席から登場。「今日は本当にありがとうございます。」と感謝を述べ、「裁判にかけられるみたいで非常に緊張しますが、よろしくお願いします」とイベント開始にあたり挨拶をしました。

岸井ゆきのさん、浜辺美波さん、杉野遥亮さんの起用理由

中川監督(以下、中川):元々この作品の真奈というキャラクターを考えているときに、岸井さんの存在が一番最初に頭に浮かびました。岸井さんって、有機農法で育った採れたての野菜というか、瑞々しさとパワーがあるじゃないですか。もともと出演作も拝見していましたが、この作品は彼女が一番軸になると思い、はじめにキャスティングさせていただきました。
その岸井さん演じる真奈というキャラクターに対して、全く反対の人がすみれを演じた方がいいと思ったんです。僕自身、大学時代の友人を亡くした経験があるんですが、その彼に言われた言葉ですごく残っているのが「お前は非常に図太いやつなんだ」と。その図太さを岸井さんが演じてくれるのであれば、それを遠くから見ている人、そういったある種達観した眼差しを持った人は誰かと考えたときにプロデューサーから「浜辺美波とかどうかな」と提案があり、お願いしてみました。
MC:杉野遥亮さんのファンの方からもすごく質問いただいており「"ひょろっとした目尻にほくろがあって少し俳優みたいな"という原作に記載のある遠野の印象とそのままの杉野さんの姿に驚きましたが、遠野くんのキャスティングはどのように決められたのでしょうか?」という質問もいただいています。

中川:遠野という役は非常に難しくて、真奈からもすみれからも微妙な立ち位置で、僕が女性なら国木田派なんですけど(笑)、遠い感じがするというか。そう悩んでいたときに「杉野さんがすごく素敵だからと」こちらもプロデューサーに提案いただき事務所でお話しさせていただきました。会ってみると、彼自身の人間としての背景も非常に遠野に近いように感じましたし、楽しく話しができて、この役の距離感としても良いなと思い、お願いしました。

髪型・衣装へのこだわり

MC:「主人公たちの髪型や服装の変化が彼女たちの心情を表していた」という感想もいただいていますが、監督のこだわりはどんなところにありましたか?
中川:これは今の時代とも通じているかもしれませんが、この作品は”何かを捨てていく物語”だと思ったんです。すみれという人は最初は髪が長く女性的だけれど、彼女の意思でそれをどんどん捨てていく。その捨てていくものの中に、真奈もいたかもしれないし、遠野もいたかもしれない。とにかく、すみれが最初の髪型から短くなるというのは最初からプランとしてありました。一方、真奈はそんなに変わる必要はなく、彼女は変わらない力をもった人でもあると思うんです。だから髪型で変化をつける必要がないかなと。衣装はかなり意識していて、すみれのイメージを水色や青として、真奈のイメージを緑に置いていました。だからすみれのお母さんが(すみれの)水色の服を真奈に着せようとしたとき、真奈は非常に拒否感があるんです。まだすみれが死んだと受け入れていないから。それが最後のシーンで真奈は水色の服を着て、背景が窓の外の緑。これは真奈が自分の存在から離れて、すみれという存在を取り入れられたというイメージで考えました。照明などでも意識して色分けをしていました。
MC:監督はこれまで手がけた作品でも、色や光を大事にされていると思われますが、いかがですか。
中川:それしかないですよね、僕の映画は(笑)。そこに惹かれてはじめるんですよね、映画として光と色合いが見えた時に作ろうと思うから。

音楽はもう一つの登場人物

MC:もう一つ多かったのは「劇中に流れる音楽が素晴らしく、監督から劇中の音楽に際し、イメージや要望はあったんでしょうか?」という音楽に関する質問です。
中川:この作品にとって小瀬村(晶)さんと加藤(久貴)さんの音楽はもう一つの登場人物だと思っています。というのも、真奈とすみれを俯瞰したある種の神様のような視点があると思うんです。だからー死んだ人間と生きている人間と過去のすみれとー死ぬ直前のすみれが最後にポートレイトで一斉に出てくるのも、時間を超越した世界を表現したかったんです。小瀬村さんは生と死の曖昧な領域を非常に丁寧に掬い取ってくれる音楽家であると同時に、一方で生命力もこの映画が後半にいくにつれて必要なんですね。それは特にアニメーションの部分と真奈がすみれに対してビデオを撮る言葉を残すシーン。生と死がつながっている姿を描いた作品なので、ものすごいパワーと生きる鼓動みたいなものを表現できなくちゃいけない。そうした時に(過去作の)『四月の永い夢』『わたしは光をにぎっている』でもお世話になった加藤さんは生きている世界を、高潔な生命力を描ける人だったので、急遽最後の2曲に加わってもらいました。太鼓の鼓動、祭りのイメージをお伝えして。祭りというのは古今東西かかわらず死者を迎え入れる場ですよね。呪術性、地鳴り、鼓動を感じる音楽を作ってほしいと話し、1週間ほどで作ってもらいました。

「フカクフカク愛して」

MC:「高台のシーンで"深く深く愛して"とすみれが言いますが、原作では真奈のセリフですよね。中川監督がすみれにこのセリフを与えた意図を伺いたいです」という質問をいただきましたが、いかがでしょうか?
中川:お客さんはよく見てくださっているんですね、僕はこう思ったんです。すみれの方が遠くを見れる人だけど足元が見えない人。一方真奈は、遠くを見通せないけど足元のものを見つけられる。例えば猫のポーチ。足元にあるのを真奈は見つけるけど、すみれは見つからない。そして将来の見通しに関しても、俯瞰的に見れるのはすみれの方。原作は原作で素晴らしいですが、僕のなかではそういったキャラクター分けがあって、そうした時にフカクフカク愛するというテーマを話せる人って、遠くを見れる人だと思ったんです。”愛する”ということって言葉の中でなかなか実感できないと思うんですけど、できないことを話す人なんですよね、すみれって。そういうイメージでした。
MC:それこそこの映画のキャッチコピーになっている「私たちは世界の片面しか見えてないと思うんだよね」というセリフもすみれが言ってますね。
中川:あれは現場で付け足したセリフなんですけど、あれは真奈からは出ないですよね。
MC:現場で!すみれ役の浜辺さんは現場でそのセリフを付け足した時、どう受け取っていましたか?
中川:意外と浜辺さんはすんなり受け入れてくれましたが、岸井さんの方がその言葉に対してリアクションがありましたね。「あの流れのなかでこの言葉が出てくるのが自分にはわからない」と。一悶着ありましたね(笑)でも入れてよかったです。反応してくれる岸井さんも素晴らしいですよね。

原作にはない”ビデオカメラ”の意図とは

MC:原作はそもそもビデオカメラというツールは登場しないため原作とは大きな違いがありますが、あのビデオカメラを入れた理由や意図について伺いたいです。
中川:原作は懐の広い作品でいろんな解釈ができますが、自分がこの原作で重要だと思ったのは”真奈とすみれがある瞬間非常に大事に想いあっていたこと、そしてその時間は決定的に終わってしまったが、なくなってしまった眼差しは自分の現在のなかで生きている・存在している”ところでした。その失われた眼差しを映像的に残す方法ってすごく難しくて…。例えば「日記を読む」だとイヤらしいんですよね。自分も亡くなった友人の日記をご両親から渡されましたが、自分の大事な人の知らない目線って怖いものです。この作品の場合、日記にすると説明的になってしまうと思ったんです。
それだけじゃなくて、すみれという人は、母親との関係やどう生きていくか実はとても悩んでます。そのことを前半の構成だけだと伝えられず、あの時代にDVカメラで撮ってるのは”変わった人”なんですよね。その2つが繋がった時にすみれがビデオカメラを持っているのは良いんじゃないかなと思ったんです。

監督としての挑戦となった”海”の撮影について

MC:海についても質問が届いています。「時に怖かったり時に穏やかだったり、それを俯瞰で撮っているのが印象的でしたが、海の撮り方でこだわった点はありますか?」
中川:海の撮影は今回監督として一つの挑戦だったんですが、日本人にとって海とは何かを考えた時に、壁のような行き止まりを象徴する、あるいはあの世・黄泉を想像させるものなんじゃないかと。その未知なる海を僕は表現したかったんです。
そして色んな気配の海を撮りたかった。すみれと真奈が2人で旅をして、楽しいけど憂鬱な。あそこはあたたかい静かな海。僕らはああいう海を見て癒される。これが時を変えたときに、真奈にとっては襲いかかってくる海、また真奈が出会う高校生からしたら闘うべき海、自分の家族を奪った存在で歌によって跳ね返す、闘いのための海になる。そしてすみれにとっては、自分の生命を破壊し、ある意味では命を循環させる海。これらを表現したかった。
だから真上から撮影したのは、ある意味で何かが見ている、僕たちの命を僕たちとは違う視点から。それも一つの「別の視点」じゃないでしょうか。

新谷ゆづみさんのキャスティングについて

MC:「主演作を拝見していたのですが、本作では当初現地の方だと思ってみていました。今回新谷さんを起用した経緯や被災について語るシーンの演出方法などを教えてください。」という新谷ゆづみさんの起用理由についての質問をファンの方からいただきました。
中川:「息をひそめて」(21/Huluオリジナルドラマ)で歌う役のオーディションに来てくださったときに、歌のシーンで泣かれていたんです。でも本人は泣く理由をうまく説明できない。そのことが僕には印象が強く残っていて、結局その役は新谷さんのキャラクターとは違っていたのでオファーしなかったんですが、今回歌を歌う役でもあり、彼女が適任だと思ったのでお願いしたんです。
あのシーンの彼女は本当に素晴らしかったですが、どうしてそれが可能だったかというと、あのシーンは元々脚本にはなかったんです。ただ東北でロケハンをして、被災者の方の実際の声を聞き、10年経つと姿としてはあまり残っていなくても、声として残していくべきだと思ったんです。なのであの場面を急遽入れたんですよね。それでスケジュールを調整していただき新谷さんには事前に東北に行ってもらって、東北の海に向かって歌ってもらったり、被災された方と会話していただいたり、そういった時間を設けたことが彼女にとって大きかったと思います。それから彼女は和歌山県出身で、海沿いに住んでる人生というか、肉体の中に自分の住んでたものの気配が乗っかるから。それで彼女が適任なんじゃないかと。ちなみに今配信されている「湯上がりスケッチ」(22/ひかりTVにて配信中)では金髪で全く違う役を演じてもらっています。大したもんですよね。

”生と死”というテーマの区切りの作品に

MC:お時間も近づいてきましたので、最後に監督から一言いただけますでしょうか。
中川:見てくださって本当に嬉しいです。学生時代から”生と死”という近いテーマで作品を撮ってきて、この作品で一つ区切りかなと思っています。これから映画祭での上映などありますが、日本のお客さんと最後に一緒にみるケジメの機会に、そういう時間を共有できたことが本当に嬉しいです。ありがとうございました。

やがて海へと届く
絶賛公開中!
岸井ゆきの 浜辺美波/杉野遥亮 中崎敏/鶴田真由 中嶋朋子 新谷ゆづみ/光石研
監督・脚本:中川龍太郎
原作:彩瀬まる「やがて海へと届く」(講談社文庫)
脚本:梅原英司 音楽:小瀬村晶 アニメーション挿入曲/エンディング曲:加藤久貴
エグゼクティブ・プロデューサー:和田丈嗣 小林智 プロデューサー:小川真司 伊藤整
製作:「やがて海へと届く」製作委員会 製作幹事:ひかりTV WIT STUDIO 
制作プロダクション:Tokyo New Cinema
配給:ビターズ・エンド ©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会
公式HP:https://bitters.co.jp/yagate/
公式ツイッター、公式インスタグラム:@yagate_movie
https://youtu.be/iStk0Oguk0c

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