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動け私のあし


私の母は末期の胃がんでした。
(初めて私のnoteを読んで下さっている方は、マガジン「母の記録」にて、これまでに母と私達家族に起こった出来事を記していますので、よかったらそちらの方も読んでみて下さい。)




2024.1.31
病院を出ると、雨が降っていた。
雨のせいか、バスはなかなか来なかった。

さっきのプリントが気になって、胸が苦しくなって、また涙が出た。

結局バスが来るまで涙は止まらず、遅刻して来たバスに乗り込む前にハンカチで涙を拭った。



駅にバスが着くと、走ってエスカレーターを駆け上がり、電車の来るフォームまで急ぐとちょうど電車が到着したところだった。


電車に乗って3駅ほど過ぎたところで、電話が鳴った。バッグから取り出すと、母のいる〇〇病院の名前が出ていた。

病院『〇〇病院、看護師長の〇〇です。〇〇さんの携帯でお間違いありませんか。』

私『はい、そうです。いつも母がお世話になってます。』
電車の中だったため、なるべく小さな声で返事をした。

看護師長『〇〇さん、もう病院の方出られたんですよね。』

私『はい、仕事があるので、少し前に〇〇駅から特急電車に乗ったばかりで、今電車の中です。』

看護師長『…すみません。今日、お母様はどんな感じでしたか。』

私『昨日よりも元気がなくて、目がなんて言うんですかねぇ…ガチャガチャしていて、意識が遠くに飛んでいるような感じはしていましたけど。』


看護師長さんは、うん、うんとゆっくり相槌を打ちながら私の話を聞いていた。


私『母がどうかしましたか。』

病院からの電話で母に何かあったのだと思ってはいたけれど、私を含め、乗客4〜5人のいる電車の中だったからか冷静に聞くことが出来た。

看護師長『すぐに病院の方にお戻り出来ますか。お母様、もう意識がない状態です。』

次の駅まで10分近くかかる…。

電話を切った後、私はダンナにLINEで母の容態を伝えた。それから電車の時間を調べたけどすぐに乗れる電車がなかったので、駅に着くと急いで電車を降りてタクシー乗り場に向かった。タクシーが一台も見当たらなかったので、タクシー会社に電話するけれど雨の影響で一台もつかまらなかった。

あたふたしていると、また電話が鳴った。
父からだった。

父『すぐ戻って来らるっと、間に合わんかもしれんぞ。』
父は泣いていた。

私『電車もないし、タクシーも雨が降っててないと。なるべく早く行けるようにするけん、お母さんに待っとってって言っとって。』
電話を切り、タクシーを諦め駅のフォームに向かった。

電車を待っている間にダンナに電話をした。
父からもう間に合わないかもしれないと言われた事、タクシーがつかまらないこと、どうしよう、どうしよう…泣きながら喋るだけ喋って電話を切ってしまった。

とりあえず、電車で戻ったとしてまたタクシーがつかまらなかったらどうしよう。駅近くのタクシー会社に電話してみたけれど、ここでもまたタクシーは一台もつかまらなかった。

帰りの電車にギリギリ運良く乗れたと思っていたのに、こんな時まで私はやっぱりついてない。そんな事を駅のフォームで思っていると電話が鳴った。

『〇〇ちゃん(私の名前)大丈夫⁈お姉ちゃんに電話したら車で駅まで迎えに来てくれるって。だけん、何時に着くか教えてくれん。』
ダンナが姉に連絡とってくれていた。


駅に着くと、母のいる病院から車で15〜20分くらいの所に住んでいるダンナの姉が迎えに来てくれていた。

病院から電話があって、1時間近く経っていた。
あれから父は電話してこないけど、母はまだ大丈夫だろうか。怖くて自分から電話出来ずにいた。

ダンナから母の容態を聞いているはずなのに、
姉『お母さん、〇〇(私の名前)ちゃんが来るのば楽しみに待っとらすよ。』
と、姉が言った。姉の言葉に、母はまだ私の事を待っていてくれているような気がしてきた。


病院まで送ってくれた姉に、慌ててお礼を言って車を降りた。車を降りると、急いで母のもとへ向かった。



母のいる病室のドアが開いているのが見え、ドアの手前で足がすくんでしまった。



母がまだ、大丈夫でいますように。2024.1.31



#母 #胃がん #末期がん #緩和ケア



※車内では通話は控えるべきですが、すみません病院からの電話だったためとらせてもらいました。

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