![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142955972/rectangle_large_type_2_0a3286aab7543ca1e2dda96351803459.png?width=800)
【第1夜】消灯までショート×ショート
第1夜 「黒糖さくらミルクティー」
「さくらミルクティー?」
「はい。それに黒糖をトッピングしたものが飲みたいなって」
その日は東京で季節外れの雪が降っていた。朝からずっと「桜が咲いてから雪が積もるのは実に60年ぶり」とテレビが騒ぎ立てていたから相当珍しいことなのだろう。
そんな珍しい日を狙ってわざわざ寂れた喫茶店に来る客は少ない。もう今日は閉めてしまおうか、と考え始めた矢先に店にやってきたのが先程の「黒糖さくらミルクティー」という注文をした女性だ。
彼女はこの店の常連で、週の半分くらいはこの店にミルクティーを飲みに来ている。3年ほどこの店に通っている彼女だが、ここ1カ月くらいは意地悪のようにミルクティー以外の突拍子もない注文をするようになった。
俺は彼女の目の前に置かれた「コーヒー・ミルクティー・本日のおすすめ」の3つしか書かれていないスカスカのメニューを指差しながら、お決まりのようにため息をつく。
「うちには置いてないですよ、そんなオシャレなメニュー」
確かに彼女は常連だが、それを理由に裏メニューを出せるほどの材料も優しさも持ち合わせていない。そんな冷たい俺の言葉に彼女は頬を膨らませてみせた。
仕方なく「文句があるなら駅前の店に行ってくれ」という言葉を飲み込んで、「いつものミルクティーならありますけど」と素っ気なく提案する。
じゃあそれで、と相変わらずの不機嫌オーラを放ちながらオーダーする彼女に冷ややかな視線を注ぎつつ、チラッと時計を見るとすでに16時をまわっている。
彼女が来なければすっかり店じまいをして家に着いていたはずの時間だ。テレビの中のアナウンサーも「夜にかけて雪が強くなる」としきりに帰宅を促している。
どうして帰れたはずの時間にこんな無理難題で頭を悩ませなくてはいけないのか。彼女に淹れたてのミルクティーを差し出しながら、そんなイライラが言葉に乗って、ついに疑問という形で口から飛び出した。
「なんで最近メニューにないものばかり注文するんですか?」
彼女は1ヶ月も放置されていた当然の疑問を急に聞かれたことにひどく驚いた様子だった。
2人の間に流れる気まずい沈黙。いつもなら窓の外からうるさいくらいに聞こえる子どもたちの遊ぶ声も今日は聞こえない。
言いたくないなら結構です、そう言いかけた瞬間に彼女が口を開いた。
「Bellflowerってどう思いますか?」
Bellflowerは、1ヶ月ほど前に駅前に新しくできた喫茶店で、斬新なメニューがウケて、この小さな町では異例なくらい毎日大盛況となっている店だ。
「いつも盛況だなって思ってますけど……」
「なんでそんなに弱気なんですか!同じ喫茶店として悔しくないんですか!」
彼女の思わぬ言葉に戸惑う。悔しいなんて思ったことがなかった。向こうの店は大人気だ。こんな寂れた店と比べるなんておこがましい。
「私は悔しいです。ここはこんなに良いお店なのに。だからもっとメニューを増やして流行りの店になってほしいんです」
彼女がメニューにない注文を始めたのは1ヶ月ほど前。確かに駅前の店がオープンしたくらいのタイミングだった。
そのことに気が付いてハッとする。
「もしかして今までの注文はこの店のことを思って・・・」
「この店が大好きなんです。だから意地悪なフリして新しいメニューを提案してたんですよ」
言われてみれば彼女が意地悪のように頼むメニューは、Bellflowerでも出していないような斬新なものばかりだった。
「新しいメニューを考えるために何度も何度も向こうの店に足を運んで色々研究したんです!」
そんな彼女の言葉を聞いて、こんなに寒いのにじんわりと胸と目頭が熱くなるのを感じる。俺は慌てて袖口で涙を拭った。
その様子を見ていた彼女は満足そうに頷くと、ミルクティーを一気に流し込んで立ち上がった。
「雪の日に長居してごめんなさいね」
「いいんです。比べものにならないくらい温かい気持ちになれたので」
俺は雪の降る町へ歩き出す彼女を見えなくなるまで見送り、その後で店の看板を下げた。
「さて、ちゃっちゃとミルクティーのカップを片付けて雪がひどくなる前に帰るか。でもその前に…」
俺はレジのすぐそばの棚から1冊のノートを取ってきて、さっきまで彼女が座っていた席で広げた。
「嬉しいなあ、あの人向こうの店にも何度も来てくれてたんだ。来てくれてないかと思ってたからついうるっと来ちゃったな」
俺は、白紙のページに大きく「黒糖さくらミルクティー」と書くと、勢い良くノートを閉じた。窓から差し込む白銀の光に照らされたノートの表紙には【Bellflower 春の新作メニュー】と書かれている。
「よし早速、明日から新作の試作に取り掛からなきゃだな!さっさと向こうの店を軌道に乗せて、こんな親父から引き継いだ喫茶店とおさらばするぞ!」
雪のニュースも一段落したテレビからは、話題の店のオーナーとして取材を受けている俺のインタビューが流れていた。
Fin
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?