不安な気持ち
私は、将来を悲観的にとらえる性格。心配性だ。よく言えば、間違いがないように事前の準備をおこたらない。いや、準備しないと心配で寝れない。
例えば、仕事で10時に待ち合わせるときは、最低でも30分前に現地に着くように段取りを組んでしまう。本当は5分前に着くようにと考えはじめるのだが、もし電車が遅れたらとか、もし道に迷ったらどうしよう心配になる。念の為、リカバリーできるように一本早い電車に乗ろうと考え始めると30分前、へたすると1時間前に着いてしまう。
1時間も手持ち無沙汰の時間ができると、喫茶店を探して時間を潰すことになる。喫茶店がないような場所だと、ひたすら周辺をうろうろ歩いて時間調整する。私はこんな所で無駄に時間を過ごして何やってるんだろうと思うこともあるが、遅刻するよりもずっといい。遅刻するんじゃないかと焦った気持ちで電車にのるよりもいい。最近はそう割り切って自分の性分のまま、待ち合わせ場所には、不必要なくらい余裕を持って到着する。
私のような心配性の性格は、よく言えばしっかりしている。悪く言えば、心配しすぎて何に対しても消極的。
悪い方に転ぶと、心配しすぎて何もできなくなる。ちょっと心が弱ってくると、心配事を気に病んで仕事に行きたくなくなる。
それでも我慢して、いやだいやだと思いながらもなんとか出勤して、1日過ごしてみれば、ほとんどの場合、心配していたことは、心の中で思い描いていたような最悪の事態にはならずに、思わぬ方向で解決する。紛糾するに違いないと思っていた会議はあっさり終了して、やらなきゃいけないと思っていた仕事も事情が変わってやる必要なくなり、なんなら、ひょんな所から、めでたい話がふってわいたりする。
それは、学生時代からずっとそうだ。いやだいやだと思いつつも、登校してしまえば気も紛れてなんとかなる。いやだいやだと思うあまり、家から出られなくなると、悪い方向に転がってしまう。
家でひとりで居ると心配事の妄想ばかりが膨らむ。妄想が妄想をよびおこして、自分のこの世の不幸を一新に背負い込んだような気分になる。そんな気分になると、次の日は更に外に出られるような気分でなくなる。そのうち、家に籠もって悩むことしかできない自分が情けなくなって、さらに自分を責めてしまう。
「どうせ、私なんか世の中に必要とされていない。生きている意味なんかない。」などと考え始める。そうなると、自分の部屋に引きこもって誰とも会いたくなくなる。友達や親とも話したくもない。そんな絶望のどん底の気分でいるくせに、3食ご飯は食べるしトイレにも行く。起きている時はテレビばかり見ている。勝手なもんだ。
学生の時は、何度かそんなふうに不安な気分に振り回されて、2年ほど遠回りした。
年を取るということは、いいこともあるもんで、最近でもこんな気分のながれはあるのだけれど、「絶望のサイクルが、また始まった。気をつけなきゃ。」というくらいの余裕は持てるようになった、
年をとると、自分に諦めがつくし厚かましくもなれる。「世の中に必要とされていない? そうだね。私の代わりはいくらでもいる。」「生きている意味? たまたま、なんかの間違いで生まれてきただけ。たいした意味なんかない。」
と開き直れるくらいにはなった。
そもそも、私の今の有り様なんて、過去からの行きがかりや周囲との関係で、たまたまそうなっているだけで、明日にはどうなっているかわからない。
「生きている価値」が、周囲からの評価のことなら気にする必要はない。自分にとって価値があると思えるように暮らせばいい。
不安な気分で落ち込んだり、いいことがあって調子にのっって浮かれたりと、気分にふりまわされないように淡々と過ごした。
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