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心が潤う


書くネタに困ったら頼ってしまうよ、今週の一枚


今週は「クジャクサボテン」


花言葉は「燃える心」「偉大」「暖かい心」「枯れない愛」


もう他の花はないだろ?と思って家の周りを探してみると、まだあったのが、このクジャクサボテン。


俺が知らない間に母親が地道にいろいろな花を育ててたんだなと痛感する。まぁ花なんて昨日今日で育つわけないから、俺が今まで一切家の周りの花を見てなかっただけだが。

たまにホームセンターに行った時に、入口の花の種を売ってるコーナーを通って店内に入ってるが、


「花なんて誰が買ってるんだろう?どうせ枯れるのにな」


昔はこんな情緒の欠片もない思いで、花のコーナーを通り過ぎてたが、今のロマンスジョージだと違うよ。本当に心から「何か綺麗な花を買って育てようかな?」そんな思いで花のコーナーを見てる。


書くネタが無いなら、時事ネタや芸能ネタを書けばいくらでも書けるが、俺の意見に対して反対意見の人もいるだろうから、俺の意見で不快な思いをさせてしまうかも知れないし、それで人と揉めるパワーも情熱も無いから、どうしても綺麗事なネタばかりを書いてしまう。それと自虐ネタを。


自虐ネタを書くのは自分を下げるのは誰も傷つかないし、いくらでも悪く書けるからだ。


家の周りには花以外ではジャガイモを育ててるのを、つい先日知った。その日にポテトサラダを母親が作ってくれてたけど、これが自家製なのかと妙に感動してしまった。夏にはトマトも作ってるし、昔はスイカも作ってた。柿の木も植えてるし、びわや栗、俺が子供の時は椎茸も栽培してた。今は壊れて使えないが、椎茸を熱風と回転によって乾燥させる機械もあった。


今思うと何でもあって凄いなと思う。


その当時はまったく凄いとは思わなかったが、故郷を捨て街に住むようになって、部屋の近くのコンビニやスーパーでしか食料を調達しなかった時代から考えると、田舎で根を張って生きるということの逞しさと凄さを今更ながら感じる。


誰も食料を用意してくれないから、自分たちで作る。


何も無い太古の時代なら当たり前のことだけど、現代ではほとんどの人が当たり前じゃない事だ。一番大事な食料の調達をコンビニやスーパーなど他人の手に委ねる生活。自分の口の中に入れる食料を、あまりにも便利なシステムが故に安易に過信し過ぎな気もする。


だからといって、コンビニやスーパーが近くにあれば俺も間違いなく利用するはずだ。


でも、将来的には何か自分で育てたいな。花も今よりもっといろいろな種類を植えてみたいし、食べる物も何か作りたいな。


自分の記憶を辿ってみると、小学校の時にアサガオとヒマワリを育てたような記憶もあるけど、その時はアサガオもヒマワリも綺麗だと思ったことは無かったはずだ。


でも、今の俺は天気が良いと寝起きのまま外に出て、フワリフワリと漂いながらアハハアハハと花を探してパシャリパシャリと能天気に花の写真を撮ってるのだ。


もちろん、自分のためじゃない。俺のnoteを見てる人に見せたいからだ。世界で一番乾いたアタカマ砂漠のような枯れた心を持ってる俺がこんな気持ちになるなんて、昔は思いもしなかった。


俺の文章を見てくれてる人は何気なく見てくれてる人がほとんどだろうけど、それでも俺の心に水を与えてくれて、


「人に伝えたい」


という花を俺の心の中に咲かせてくれたのは間違いない。

 

俺は何も与えてないのに、俺の心に水を与えてくれた。


今日はそんな感謝の気持ちを、照れ臭いからまた長々と回りくどく書いてしまった今週の一枚です。

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