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悲しい思い出の後味

普通は、楽しい思いや悲しい思い、いろいろ混ぜ合わせて、過去の思い出が彩られて記憶に残るものなんだろうけど、僕の思い出は失敗による悲しい思い出ばかり。

もしかしたら、僕の場合は悲しいと思い込んでる可能性も高いとは思う。

最初の悲しい思い出のショックが子供心にすごく大きくて、

「また同じように人に思われてるかも」

そんな心の防衛本能が先に来てしまい、少しでも相手からマイナスな言動を感じ取ると、すぐさま全身全霊で、防御の体制を取ってしまうのだ。

もう、ハッキリと覚えてる最初のショッキングエピソードは、当時、携帯ゲームを持ってなかった僕は、ド田舎で唯一遊びに行ける年上の友人の家に毎日遊びに行っていたのだった。

「て〜る〜く〜ん!あ〜そ〜ぼ!」

まるで、絵に書いたテレビドラマのような無邪気な子供演出そのままの呼び方。マジである。毎日昼時にこれである。

何も考えてない。ただただ携帯ゲームを遊びたいだけの心。

そんな事を繰り返してた、ある日の出来事。

いつものように時間を考えず、自分の暇な時、都合の良い時に、

「て〜る〜く〜ん!あ〜そ〜ぼ!」

と、遊びの狼煙を上げた。

しかし、家に中から言葉が聞こえた。

「また、来た…」

一瞬で悟った。てるくんの母親の声。歓迎されてない。あんなに「ジョージちゃん、ジョージちゃん」と言ってたじゃないか!

もう、ここは僕の家だ!いつでもゲームが遊べるゲーム御殿だ!そう信じて疑ってなかった家なのに…

でも、てるくんの家はてるくんの家であり、てるくんの家では、てるくんの家のルールがあり、僕の遊び場ではないのだ。時間も考えずに、毎日、いつでも行っていい場所ではなかったのだ。

知らなかった。気づかなかった。今では当たり前に思う、相手の都合。

「歓迎されてない」

全否定ではなく、歓迎されない時間や日にちがあるよ、ということなのだが、その時はそこまで気が回らなかった。

あまりのショックで、その日から二度と、てるくんの家に遊びに行けなくなった。これが我が人生における「てるくん事変」である。

今でもハッキリ覚えてる悲しい思い出。この日から、人と出会った時から人に嫌がられる可能性を考えるようになってしまった。

なんと幼い心なんだ。オチョコ並の心の器。

次のハッキリ覚えてる悲しい思い出は、陸上大会に選ばれた時だ。走り幅跳びの代表に選ばれたのだ。初めての代表。

会場には学校が用意したバスに乗って行くことになってた。町営バスの停留所に待ち合わせて、そこから乗るのだ。

僕がまず集まる、バスの停留所名は「〇〇病院前」

普段バスに乗り慣れてる人ならばなんの問題もない待ち合わせ。

だが、しかしだ!

僕はそれまでバスに乗ったことがなかった。山奥に住んでたので、日常的にバスに乗ることなんてなかったし、何よりバスに乗る時に感じる、他の乗客からの視線が嫌で、バスが嫌いだったのだ。

でも、今回はバスに乗らねばならん。2時間近く離れた会場で、学校を代表した陸上大会があるのだ。

前日からバス乗りシミュレーションだ。バスが来た時から始まり、バスに乗るなんて朝食を食べるほど当たり前の行為で慣れっこですよ、なんなら「バスの乗り方講座」でも披露しましょうか?と余裕顔の練習だ。

そして当日。僕は前もって貰った紙に書いてある「〇〇病院前」でバスを待った。

ずっと待った。約束の時間が過ぎてもひたすら待った。

しかし、バスは来ない。なぜか分からない。
昨日、あんなにバス乗り込みのシミュレーションしたのに。


しかし、僕が待ってたのは、「〇〇病院前」というバスの停留所ではなく、そこから50メートルほど離れた、本当の「〇〇病院」の建物の玄関でバスを待っていたのだ。

サロンパスの匂いに包まれた、上品な御婦人、紳士達と共に開院時間を待ってたのである。


この時、小学生6年生である。アホ過ぎる…


家に電話をして、仕事のある母親に陸上大会の場所まで大急ぎで送ってもらって出場には間に合った。

そして、結果は14位である。母親の仕事と時間を奪ってこの順位だ。情けない。スタート地点以前で転んで、人を巻き込んで、この成績だ。

もう、毛穴まで見えるほどに、ハッキリクッキリ覚えてる悲しい思い出。 

書いてて、当時を思い出して、今でも涙がこぼれそう。

ハッキリ覚えてるのは、悲しい思い出ばかりだが、その裏では、毎日受け入れてくれてた、てるくんの母親の優しさは今では分かるし、僕のピンチに仕事をほったらかして駆けつけてくれた、母親の愛も今では十分に分かるし、今でもハッキリ覚えてる。


僕の思い出は悲しい思いばかりじゃなかった。人の優しさにも彩られた、味わい豊かな思い出もあったのだ。



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