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リバース。

 車を運転しながら、山手通りを走る。

 自分の部屋以外を清掃する新鮮さ。雨続きのジメリ感から、秋晴れを予感させるような陽射しに全身を任せる。人間は光がなくては生きられない。そんなことを思い浮かべながら、箒を手にしたままで通りをフラッと渡り、目黒川を覗き込んだ。

 あの日、あの時と変わらない水の流れに、実際に暮らしてた頃の残像がフィルムとアルバムを巡るように、交互にスライドして回る。この近所の暮らしていたマンションに移り住んだ時、あの時ほど感情が重く頭から体まで重くて、目黒川の流れさえ重苦しく思ったことはない。地元から離れて都会の狭間で行き場を失った。夢を掴んでも楽園はない。日々は唯無意味に無駄に流れて、流れてもまた再び、まんま変わらず戻って来る。いや、実際には巡るたびにさらに何倍もの威力で、当たり前のように何食わぬ態度で戻って来た。ひたすら耐えるだけ。酒や煙草は趣味じゃないし、あんなにライフワークだった恋愛すら興味を失った。不思議と男断ちしたかのように求めなくなると異性からのアピールが強まる謎。ああ、きっと生き物として弱っている状態を人間は嗅ぎ取るのだ。"種の起源"には恋愛という"錯覚"は不可欠なもの。ああ、だから、これも錯覚なんだろう。

 気力と体力でカバーして、仕事は淡々と勢力的にこなした。ヘアメイクのOさんが、「辛い時は嘘でも笑うといい。偽りでも脳が錯覚する」と言うから、表向きは演じた。鋼の精神で。人間はバランスで成り立っている。こんな人生の試練が有るとは思いもしなかった。綺麗に髪をブローをして貰うと、対面した鏡越しに自分がハリボテのような気分になって、どんどん膨れ上がり、目黒川に醜く浮かびながら流れていくような姿を想像する。クルクル振り返った顔はマネキンそのもので生気が全く感じられない。恐ろしさにハッとして覚醒しても現実はさほど変わらない。俯瞰を標準装備していた疎ましさが絶大な強みになることも同時に学ぶ。


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 ある日、白い空間のベッドの上で目覚めた。眩しくて痺れる感覚の中、点滴の管が手首を拘束している。友人が慌てて何やら話しかけている。何を言っているのか朦朧としながら耳を傾ける。

 病院だと分かった。

 前日、いつもならば手順を間違えたりしないはずの睡眠薬を、アルコールと同時に少しだけ増やして飲んだ。ああ、やっぱりアルコールは体に合わない。強制的に眠るには都合が良かったのだが…。意識が完全に戻ってからは水分を異様に求めた。食欲はないが水を飲んだら気持ち悪くなりそのままを吐き出した。

 便器を抱えながら、ベランダの窓から眺めた夜景の美しさを脳裏に映した。本当に静寂に満ちて澄み渡る空気、これは現実だろうか?幻想だろうか?やはり"錯覚"だったのか?…
有る人が残した。「こんな薄汚れてしまった瞳にうつる静まり返った深夜がこんなにも美しいとは思わなかった。この世が既に天国だとは知らなかった。こんなにもズタズタでスカスカで吸収出来る装置すら、もう持ってないはずなのに。今日が最期だ」

 いつだって簡単にも死ねるし、簡単にも死ねない。

 月日は過ぎてしまえば、幻のようだ。辛い記憶も楽しく幸せだった青臭い記憶も全て遠い遠い場所にあり、二度と掴めないと思い込んでいた記憶すら更新されてゆく。歩き続けてなんの躊躇いもなく近づいて掴む。痛みから目を逸らさずに生きることを選ぶ。其れが生きることをリタイヤした者への唯一の弔となる。

 また、この場所へ戻って来た。辿り着いた。

 瘡蓋は剥がれ過ぎて、跡になると思い込んでいたけど、もうどこかわからない。

 時薬。


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 岡崎京子の「リバーズ・エッジ」を繰り返し読んでいたあの頃。

ニルヴァーナを聴きながら。


https://youtu.be/pkcJEvMcnEg


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ボラボラ。

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