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めぐる巡る。

 三月も最終日。気づいたら、また四月。

 母が亡くなった月だから、もう何十年も前だから、痛みは鈍くなった。悲しみも薄れるんだと学んだ時間。桜舞い散る季節の光景を、最期の季節を、母はどう感じながらこの世を去って行ったんだろう?と、最近になって思ったりする。それでなくとも出会いと別れの季節だから当然で、ネットが普及したのもあり、他の人の経験談を読めたりするから有難い。ああ、皆んな、それぞれに見えないものを抱えて生きているんだと。

 四月だけじゃなく、二月、三月、と思い出す人が居る。人間は二度死ぬらしい。一度目は実際に死んだ時。二度目は記憶から消えた時。だから、せめて思い出すことを止めずに繰り返して刻む。毎年、その季節は心も波打つ。波に飲まれそうになった時期もあったけど、今はもう大丈夫。自分の存在意義なんて、大層なものは知らないし、知りたくもない。自分は、やはり精神的に強い気質なんだと思う。昔は、強い強いと言われる度に、違う違うと胸に反響していたけれど、継母に「そうだよ」と初めて返した時……けじめがついたと力が抜けたのを覚えている。虐められても、わたしの精神は壊れない。誰にも触れさせない部分を持ち合わせている。ずうっと大人の貴女よりも、わたしは大人だし、それに、貴女よりわたしの方が、ずっと綺麗。強がるのも強いうち。辛いと思う渦中を過ぎれば、なあんてこと無かったね、と自分で自分に本心で言える場所に到達出来る。


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