第1章成功するにはエリートコースを目指すべき? その②《リスクを冒さず、親や学校から言われた通りにするのは得か損か。高校の首席、無痛症の人びと、ピアノの神童から得られる洞察》

蘭とタンポポと「有望な怪物」

ここでちょっと、蘭とタンポポと「有望な怪物」の話をしよう(そんな話はちっとも珍しくないと思うかもしれないが、しばしおつき合いいただきたい)。




スウェーデンでは古くから、「大半の子どもはタンポポだが、少数の子は蘭である」と言い伝えられてきた。




タンポポはたくましい。




それほど綺麗な花ではないが、どんな環境でもよく繁殖するので、わざわざ手間暇かけて育てようとする者はいない。




一方、蘭はきちんと管理してやらなければ枯れてしまうが、丁寧に世話をすればそれは見事な花が咲く。





よくできたたとえ話だと思っただろうか?




でもそれだけではなく、この言い伝えを最先端遺伝学から検証してみよう。





ニュースでよく聞くのは、遺伝子が原因でああなる、こうなるという話だ。





それで私たちはすぐに、「良い遺伝子」「悪い遺伝子」とレッテルを貼る。





これは心理学者が「脆弱性ストレス モデル」と呼んでいるもので、悪い遺伝子を持つ者が何か問題に遭遇すると、うつ病や不安神経症などの精神疾患を発症しやすいという。




だが一つ問題がある。




この説が間違っている可能性がじょじょに強まってきたのだ。





遺伝学の最近研究では、「良い遺伝子」対「悪い遺伝子」というモデルが覆され、増強装置概念に近い説が導入されつつある。





心理学者が差次感受性仮説(感受性差次仮説)と呼ぶもので、問題があるとされる遺伝子が、状況さえ異なれば素晴らしい遺伝子になりうるという考え方だ。





一本のナイフで人も刺せれば、家族の食事も作れる。





それと同じで、遺伝子の良し悪しも状況次第で変わるという考え方だ。






もっと具体的に話そう。





たとえば大多数の人は、正常なドーパミン受容体遺伝子DRD4を持つが、一部の人は突然変異種のDRD4-7Rを持つ。




これは、ADHD、アルコール依存症、暴力性と関連がある悪い遺伝子とされている。





しかし、社会心理学の研究者のアリエル・クナフォが子どもを対象に行った実験では、別の可能性が示された。




クナフォ は、どちらの遺伝子の子どもが、自分から進んでほかの子とキャンディを分け合うかを調査した。




通常三歳児は、必要に迫られなければお菓子を諦めたりしない。





ところが、キャンディを分け与える傾向がより強かったのは、なんと7R遺伝子を持つ子たちだったのだ。





「悪い遺伝子」を持つ子どもたちは、頼まれもしないのに、なぜほかの子にキャンディをあげたい
と思ったのだろうか?





なぜなら7Rは、「悪い遺伝子」ではないからだ。





ナイフと同様に、7Rの良し悪しは状況次第で決まる。




7Rを持つ子が虐待や育児放棄など、過酷な環境で育つとアルコール依存症やいじめっ子になる。





しかし良い環境で育った7R遺伝子の子たちは、通常のDRD4遺伝子を持つ子たち以上に親切になる。





つまり同一の遺伝子が、状況次第でその特性を変えるというわけだ。






行動に関連するほかの遺伝子の多くにも同様の結果が見られた。




ある種のCHRM2遺伝子を持つ十代の子が、粗悪な環境で育つと非行に走りやすい。





同じ遺伝子を持つ十代でも、良い環境で育てばトップになる。




5-HTTLPRという変異体遺伝子を持つ子が支配的な親に育てられるとズルをしやすいが、優しい親に育てられると規則に従順な子になる。





記号だらけのミクロレベルの話はこれくらいにしよう。





大半の人はタンポポだ。




どんな状況に置かれても、だいたい正常に開花する。





しかし一部の人は蘭で、悪い結果のみならず、すべてのことに対して繊細で傷つきやすい遺伝子を持つ。





タンポポが生えているような道端では花を咲かせられない。




しかし温室で手入れが行き届けば、タンポポなど
足元にも及ばないほど美しい花を咲かせる。






ライターのデビッド・ドッブズが、文学・芸術・政治を扱うアメリカの雑誌『アトランティック』に書いたように、「自己破壊的かつ反社会的な行為を引き起こすなど、最も厄介な遺伝子は同時に、人類の驚異的な適応能力や進化的成功の根底をなしている。





劣悪な環境で育てば、蘭の子どもたちはうつ病患者や薬物中毒者、あるいは犯罪者になるかもしれない。





だが適正な環境で育てられれば、最も創造性に富んだ、幸せな成功者になる」のだ。





では、「有望な怪物」とは何か? 心理学者のウェンディ・ジョンソンとトーマス・J・バウチャード・ジュニアによれば、「潜在的に環境適応性のある強みになりうる遺伝子変異を持つがゆえに、個体群の基準を大きく逸脱している個体」のことだ。






ダーウィンがすべての進化は漸進的だと説いたのに対し、遺伝学者のリチャード・ゴールドシュミットは、自然はときどき跳躍的に進化するという説を発表し、変人扱いされた。





しかしスティーブン・ジェイ・グールドなど二〇世紀末の科学者は、ゴールドシュミットは真実をついていたのではないかと考え始めた。





「有望な怪物」説に合致する突然変異の事例が発見されだしたからだ。





自然はときどきまったく異なることを試み、そうした「怪物」が適切な環境を得て成功すると、そのまま新しい種として定着することがある。




これがまさに増強装置理論である。




作家のポー・ブロンソンは述べた。




「シリコンバレーの住人たちは皆、ここのシステムで独特に報われている性格的欠陥を基礎として成り立っている」。

天才の正体




「あなたの息子さんは上体が長すぎるし、脚が短かすぎるうえ、両手両足も大きすぎて、腕がひょ
ろ長いですね」






こう言われて小躍りする親はいないだろう。






どこを取っても「魅力的」とは言い難い。






ところが経験豊かな水泳コーチがこれを聞いたら、オリンピックの金メダルが頭に浮かぶに違いない。






マイケル・フェルプスは、映画『X-Men』のミュータント (突然変異によって超人的能力を持つ)を地で行くようだ。





フェルプスは肉体的に完璧だろうか?とんでもない。フェルプスはダンスがうまく踊れないし、走るのも苦手だ。





早い話が陸上で動くようにできていない。





『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事では、変わった特徴のコレクションのようなフェルプスの体型こそが、驚異的な水泳選手になる条件にびたりと当てはまったと書かれている。






たしかに強靭で引き締まった体だが、一九三センチの長身にしては均整がとれていない。





脚が短く、胴長で、まるでカヌーだ。





おまけに両手両足が異様に大きく、ひれとして申し分ない。




さらに、通常、両腕を水平に広げると、その幅はだいたい身長と同じだが、フェルプスの場合は二メートルもある。





腕が長いということは、その分プールで強力なストロークを生みだせる。






フェルプスは一五歳でオリンピックチームに参加した。一九三二年以来最年少の選手だった。





彼の最大の弱点は飛び込みだ。




飛び込み台を離れるのがほかの選手たちより遅い。






なんせ水中以外で動くようにできていないからだ。





この怪物は「有望」なんてものではなかった。





オリンピック史上最多のメダルを獲得したのだ。





このことがアスリート以外の人びとの成功とどう関連するだろうか?





研究者のウェンディ・ジョンソンとトーマス・J・ブシャール・ジュニアは、世にいう天才とは「有望な怪物」なのではないかと示唆する。





マイケル・フェルプスは水中以外では機敏に動けず、グレン・グールドは上流社会ではやっていけない。





しかし二人とも理想的な環境を得たからこそ、みごとに開花したのだ。






蘭は、劣悪な環境では委れ、適正な環境で開花することを見てきた。





なぜ怪物の一部は有望となり、ほかの怪物は望みなしに終わるのか。なぜ一部の人は才能ある変人となり、ほかの者はただの変人で終わるのか。







カリフォルニア大心理学教授のディーン・キース・サイモントンによれば、「創造性に富んだ天才が性格検査を受けると、精神病質(サイコパシー)の数値が中間域を示す。つまり、創造的天才たちは通常の人よりサイコパス的な傾向を示すが、その度合いは精神障害者よりは軽度である。彼らは適度な変人度を持つようだ」という。







私たちは、とかくものごとに「良い」「悪い」のレッテルを貼る。実際には、それらはたんに「異なる」だけなのに。





イスラエル国防軍は、衛星写真の情報を分析する専門部隊を編成することになった。





超人的な視認技能を有し、一日中同じ場所を見続けていても飽きず、微細な変化も見逃さない兵士が求められた。難しい任務だ。





ところが同軍は意外なところから打ってつけの人材を確保した。それは自閉症と診断された人びとだった。





自閉症の人は対人関係に困難を抱えるが、その多くはパズルなどの視覚的作業に秀でている。





彼らは、自分たちも国防に役立つ有用な人材であることを証明したのだ。






神経心理学者のデビッド・ウィークス博士によれば、「変わり者の人びとは社会的進化の変異種であり、自然選択に関して理論的な資料を提供している」という。




すなわち、グールドのような蘭、そしてフェルプスのような有望な怪物のことである。






私たちは「最良」になろうとしてあまりに多くの時間を費やすが、多くの場合「最良」とはたんに世間並みということだ。






卓越した人になるには、一風変わった人間になるべきだ。そのためには、世間一般の尺度に従っていてはいけない。





世間は、自分たちが求めるものを必ずしも知らないからだ。





むしろ、あなたなりの一番の個性こそが真の「最良」を意味する。





ジョン・スチュアート・ミルはかつて「変わり者になることを厭わない者があまりにも少ないこと、それこそがわれらの時代の根本的な危機なのだ」と嘆いた。





適した環境さえ与えられれば、悪い遺伝子が良い遺伝子になり、変わり者が美しい花を咲かせる。

あのクリエイティブ集団を危機から救った“はみ出し者”』たち

スティーブ・ジョブズは気がかりだった。





二〇〇〇年に、ジョブズとピクサーのほかの幹部は皆、同じ疑問を抱いた。





「ピクサーはもはや鋭さを失ったのか?」





ピクサーは、『トイストーリー』、『バグズ ライフ』、『トイストーリー2』と立て続けに大ヒット
を飛ばしていたが、成功とともに創造性の象徴である同社チームの規模が膨れあがり、勢いを失い、
自己満足に陥っていくのではないか、と恐れたのだ。





幹部たちは、チームを再び活性化するために、ワーナーブラザーズによるアニメーション映画『アイアン・ジャイアント』の監督を務めたブラッド・バードを次なる大事業の監督として迎えいれた。





ジョブズ、ラセター、キャットマルらは、バードなら、ピクサーの活力を蘇らせてくれると見込んだからだ。






バードは創造性の危機に取り組む際、これまでピクサーの名声を築いたアーティストたちの力を借りただろうか?





それとも、新風を吹き込むために外部のトップ・アーティストたちをメンバーに加えただろうか?






どちらもノーだ。





安全策を取ったり、「ふるいにかけられた」才能を引き抜いたりするときではなかった。





それでも一応成功はしただろうが、行き詰まりの打開策にはならなかっただろう。





バードが初のチームを立ちあげたとき、ピクサーの創造性危機に取り組む計画を発表した。






「私たちは、はみ出し者』を求める。





アイデアがありながら採用されずフラストレーションを抱えている者、誰にも耳を傾けてもらえないがユニークな作業法を知る者、今の職場を出ようと考えているすべてのアーティストたちに来てほしい」






言い換えればこうなる。





「『ふるいにかけられていない』アーティストたちを求む。彼らは折り紙つきの変人だろう。だがそれこそが、私の求める人材だ」。





バードが「ダーティ・ダズン」と呼んだチームは、アニメ映画の製作法を一新したのみならず、ブラックシープ組織全体の働き方を変えてしまった。






「僕らはブラック・シープたちに、彼らの理論を証明する機会を与え、ピクサーでの多くの作業法を変えてみた。






前作『ファインディング・ニモ』より製作費を浮かせることができたので、僕らは三倍のセットを使って、前作ではやれなかったことをすべて試してみた。





それもこれも、ピクサーのお偉方が僕らのやりたい放題にさせてくれたから実現したんだ




そのプロジェクトとは、ピクサーに六億ドルの興行収入をもたらし、アカデミー長編アニメ賞を
受賞した『Mr.インクレディブル』だ。

あなたの欠点が世界を変える

自分にとって悪夢のような特性は、世界を変えるような強みにもなりうる。





調査によると、並外れてクリエイティブな人間とは、傲慢で誠実性に欠け、支離滅裂であるという。




学校での成績も振るわない。




教師たちも、正直なところクリエイティブな生徒が苦手だ。言いつけを守らないことが多いからだ。





あなたはそんな従業員がほしいだろうか? 絶対にごめんだろう。




創造性に富んだ社員ほど、勤務評価が低くなる傾向も不思議ではない。




創造的な人びとは、企業の最高経営責任者(CEO)に
なりにくいともいわれる。





しかし数学の知識があれば明らかなように、平均値はくせものだ。




高名な広告代理店のBBDOのCEOであるアンドリュー・ロビンソンもかつてこう言った。





「頭を冷蔵庫につっこんで、足先をバーナーにかざしていれば、平均体温は正常だ。私は、平均値
にはいつも用心している」





概して、類まれな状況で適応できるのは、平均値から外れているものだ。





「おおむね良い」ものは、極端な状況で使い物にならない。





一年のうち八か月間はちょうど良い上着を厳寒期に着たら風邪をひく。





それと同じで、一般に歓迎されないが増強装置となりうる資質は、特殊な状況で本領を発揮するのだ。






さながら一般道を走れないF1カーが、レーシングコースで新記録を打ち立てるように。






統計学的にも、並外れた能力について考えるとき、平均値は何の意味もなさない。




重要なのは分散で、標準からの散らばり具合だ。





人間社会ではほぼ普遍的に、最悪のものをふるいにかけて取り除き、平均値を上げようとする。





だがそれと同時に、分散も減らしている。釣鐘曲線の左端を切り捨てることは、たしかに平均値を改善するが、同時に、左端と思われながら、じつは右端の素晴らしい資質と不可分一体の特性を切り捨てることになりかねない。





その格好の例が、しばしば論議される創造性と精神障害の関係だ。





心理学者のディーン・キース・サイモントンは、その研究『狂気と天才のパラドクス』で、ほどほどクリエイティブな人間は平均的な人より精神面で健康だが、並外れて創造的な人間は、精神障害を発症する確率が高いと明らかにした。





リーダーに関する「ふるい」の理論で見たように、成功を極めるには、一般社会では問題視されるような特性を持つことも必要だ。






このことは、さまざまな障害と才能の関係においても見ることができる。




注意欠陥障害の兆候を示す人びとは創意性に優れることが調査によって示された。





心理学者のポール・ビアソンは、ユーモアのセンス、神経症的傾向、サイコパシーが関連し合っていることを発見した。





また衝動性は、暴力や犯罪といった文脈で挙げられることが多いネガティブな特性だが、これもまた創造性と結びついていることがわかった。






あなたはサイコパスを雇いたいとは思わないだろう?






しかもサイコパスは概して業績も振るわないことが調査でも示されている。





ほとんどの研究はここで終わっている。






ところが『卓越したアーティストの人格的特性』と題する研究では、創造的分野で大成功しているアーティストは、活躍がそれほどでもないアーティストに比べて、サイコパシー傾向が著しく高い数値を示すことが証明された。






また別の研究でも、功績が華々しい大統領は、サイコパシーの度合いが高いとされている。





成功者の特性は好意的に解釈されるので、増強装置はポジティブな資質としてまかり通ることが多い。




古いジョークにも、「貧乏人なら頭がおかしいと言われ、金持ちなら物好きだと言われる」
とある。






強迫観念のような特性も、成功者に対してはポジティブに捉えられ、それ以外にはネガティブに捉えられる。





すでに見てきたように、完璧主義によって成功する者もいれば、ただ頭がイカれてるとされる者もいるのだ。






「専門家」や「専門的技能」といった言葉から、私たちは即「専心」や「情熱」といった肯定的な概念を連想する。





だが、本質的に重要でないことにそこまで時間をかけて打ち込む行為には、必ず強迫観念の要素が含まれている。





高校の首席たちが学業を仕事と見なし、ひたすら規則を守り、全科目でAを取ることに励んだように、強迫観念にとり憑かれた創造的人間は、ある種宗教的な熱意を持って目標に取り組み、成功するのだ。




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