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震災から10年の日に思うこと

美心LABの美紀子です。
美心LABのnoteにお越しくださり誠にありがとうございます。

震災で被害に合われたすべての方にお見舞い申し上げます。そして犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。さらに復興に尽力されているすべての方にエールと感謝をお送りさせていただきます。


10年前の私

10年前の3月11日、私は故郷広島で公務員として職務室にいました。
(不思議なご縁で中途採用で公務員となったばかりでした)

突然、総務部長が慌てた様子で「皆さんのご家族は大丈夫ですか?」と聞いて回っていて。全員で顔を見合わせて「何のこと??」ときょとんでした。業務時間中はスマホも見れない環境でそんなこと言われてもねぇ。。。と。上司がネット検索をしてほどなくして東北の大地震を知ることに。

仕事で必要な時だけOnになるTVをつけ、押し寄せてくる津波の映像を見ながら、無力感とやるせなさともどかしさでいっぱいになりました。
東京の友人たちも大変な思いをしているのに、私だけ平和な環境にいていいのだろうか?申し訳ない気持ちにもなりました。

就職してからずっと東京に暮らしていた私が、一度広島に戻ることになったのはその数か月前のことだったのです。本当に不思議なことが重なってのことでした。いま考えると大きな力に護れたんだなと思います。(だからこその使命があると思っています)

その後職場で募集された震災復興支援のボランティア。迷わず初回から手を挙げたのですが、女性を派遣できる状態ではないからと採用されたのは8月でした。

ボランティアでの気づき

訪れたのは福島県いわき市。半年近くがたっても、まだまだお手伝いすることは山ほどあり、毎日朝から時間いっぱいまで罹災証明発行のための現地調査に一軒一軒伺わせていただきました。

私たちが訪れるお宅は、裏を返せば半年以上お待ちいただいた方々。それでも「遅いじゃないか!」なんて言われたことは一度もなく、逆に広島から応援に来た私に「ありがとう」と言ってくださるんです。「放射能気にならなかった?」「ご家族は心配されたでしょう」と気遣ってもらうばかりで。

放射能については、広島生まれで被爆三世の私は気にすることはありませんでした。復興にむけて私にできることをしたい!その想いが強かった。
(むしろこんな時に通常業務をさせられる方が辛かった。)
近所に住む高齢の女性に、自分たちの時は何の情報もなかったけど必死に生きてきた。そう聞かされたときに改めて思ったんです。絶対に差別なんかしちゃいけないって。私の親戚にも、広島の女は子供が産めないと間違った認識で縁談を断れらた女性もいますし。

ボランティアに行ったことで考えさせられることがたくさんありました。罹災証明の調査で訪れたお宅で、住んでいる方たちは気がついていないけれど傾きが大きくて全壊認定となったこともありました。それをお伝えした時に返ってきた言葉は「屋根があるだけありがたいことですから」と。

困難な状況にある時、そこに寄り添うということは、顕在化しているものだけじゃないんじゃないかって。本人も気づいていないことにも助けが必要なこともある。

経験を活かす

これらの経験は、今のお仕事を始めるきっかけのひとつにもなっているなぁと、書いていて気が付きました。顕在化していないから、ビジネスとしては軌道に乗せることが険しい道ですが、コツコツ頑張るしかない。

ここ数日、お客様からお礼状が届いたり、「リモートワークの救世主になっています」というお声をもらったり。嬉しい反響が届いており、さらに頑張ろう~!と思っているいまです。

noteはこれまで短くわかりやすくお伝えするように書いていました。それが更新のハードルにもなっていました。
もっと私の想いとか人間らしさを出したほうが読んでいる方も読みやすいのかもしれないなと考え直し、これからは少し物語的に書いていこうかと思っています。

いつか出版することを念頭に入れて。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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