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見えない心を見ることに時間を費やすより、見える行動から心を想像する

この頃は愛犬との呼吸が合うようになった。愛犬と歩いていると、よちよちついてきていた幼かった頃の子どもたちの姿と重なる。それぞれ違う表現法ではあるが確実に会話していると思えるのだ。

散歩は愛犬の行きたい時に行く。ハーネスを持って呼ぶと、自ら頭を入れに来ればイエス、別の部屋に去ればノー。犬だって気分が乗らない時がある。愛犬に判断させるようになってから急激に愛犬との距離が縮まった。

それでつい調子に乗ってしまったのかもしれない。先日、ハーネス装着にやってきた愛犬に不意打ちでレインコートを着せた。外は雨。風邪を引かせたくないという親心を理解してくれたのかどうかは知らないが、一瞬体を強張らせつつもいつもの様子で散歩に出掛けた。

昨日はまた雨になった。私がレインコートとハーネスを持って愛犬を呼ぶと、ギクリという顔を見せるや否や勢いよく部屋から逃げて行ってしまった。

愛犬は体を覆うものが苦手だ。かつてハーネスも嫌がり逃げ回っていた。散歩前の鬼ごっこは日常で、私はそんな愛犬を時にはモップを持って追いかけまわしていた。捕まえて大声で叱ったこともあった。予定を狂わされることにイライラしたのだ。

レインコートを見てプイっと逃げた愛犬の姿に、過去の私の過ちが蘇った。あの頃の私には愛犬の「ノー」という声が聞こえなかった。必死の訴えに耳すら傾けなかった。クマのプーさんの作者ベンジャミン・ホフの言葉が胸に刺さる。

動物に話しかける人はいっぱいいる。
だけど、聴く人はあまりいない。
そこが問題なんだ

ベンジャミン・ホフ

私は自惚れと一緒にレインコートを引き出しの奥に片付け、ハーネスだけを持って再び愛犬を呼んだ。カタカタと爪の音を立ててやってきた愛犬は、離れた所から仁王立ちし、私の目をじっと見つめる。

「信じていいのか?」

いや、

「しっかりせえよ」

そう聞こえる。

私も目に全集中し愛犬を見つめ、「大丈夫」と伝えた。長いこと見つめ合った(睨まれた?)あと、愛犬はゆっくり頭を下げ気味に私のところへ来てハーネスに頭を通した。

手のかかる愛犬を少しでも理解したくて、愛犬の心を覗くことに躍起になってきたが、見るのは「心」じゃない、「行動」だ。見えない心を見ることに時間を費やすより、見える行動から心を想像する方が断然早い。

このあと二人でびしょ濡れになりながら楽しく散歩した。心なしか、愛犬の足取りはいつもよりも軽かった。案外わかりやすいヤツなのかもしれないな。(1000字)


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