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長野県が6年連続「横断歩道で車が止まってくれる率」ダントツ1位のヒミツ

今朝、公園の手前の横断歩道で、50mほど先から来る車を見て、犬のリードを引いて「マテ」と指示をし、車が止まるのを待った。十分に渡れる時間はあったが、犬が予測不可能な動きでもして運転手に嫌な緊張感を与えたくないという、私なりの配慮だ。ところが車はそのまま走り去っていった。

長野県が「横断歩道で車が止まってくれる率」ダントツ1位というニュースを見たばかりだった。それも6年連続。完全に定着した習慣と言える。この裏には行政の取り組みもあるが、歩行者の「ありがとう」の気持ちから自然発生するお辞儀がドライバーを良い気分にさせるからではないか、と考察されていた。善因善果というところだろうか。

番組内で長野県民はなんとすばらしいのかと褒め称えられていたことに驚いた。私の故郷では、車は歩行者のために止まり、歩行者は「ありがとう」と渡る。信号のない島では当然のことだ。私のこの当たり前も、育った環境と住民によってつくられ育てられたというわけだ。

それで思い出したことがある。ドバイに住んでいた時のこと。当時のドバイは、道路は整備されていたが、とにかく渋滞が酷かった。息子の通う幼稚園は車で20分ほどの所にあったが、片側1車線ということもあり、朝は約3倍の時間を要した。住民の大半は世界各国から来ている外国人で、常識や気性もさまざま。クラクションも甚だしかった。

ある日、いつものようにイライラしながらじわりじわり車を進ませていると、遥か前方でやかましいほどのクラクションが鳴っていた。一向に切れない車の列に右折ができないのだろう。よくある光景だが、そのうち誰かが譲るだろうと思っていると、なんと私のところまで回ってきたのだ。

私は一時停止をし、慣れた手つきでパッシング、そして「どうぞ」と右の手の平を見せた。すると男性は弾むようにアクセルを踏み、横切る間中、左手の親指を私に向けてニッと微笑んだ。サングラスの下でウインクもしていたかもしれない。なんせハリウッドスターばりの風貌で、一瞬でハートを射抜かれた私は思わずワイパーを作動させてしまい、息子に「何しとん?」と笑われる始末。

サングラスのおかげで息子にバレていないが、私の目はハートになっていたに違いない。余韻はいつまでも続き、後方車から向けられた私への壮絶なクラクションなど一切気にならなかったほどだ。確かに、善因善果。同じ状況に遭遇すれば、私はまた同じことをするだろう。(1000字)


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