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教科書を思い返すと、私の“戦争”は絵と物語が一致していなかった

#教科書で出会った物語  というメディアパルさんの企画に、浮かんだのは「一つの花」でした。
小学4年の国語の教科書に載っていた、戦争の話。

戦争の話って、やっぱり楽しいものではないですし、自分から手を伸ばすことは圧倒的に少ない。なので教科書からでしか出会えなかったと思う。
物語から感じた寂しさは今でも強く残っています。

特に、一輪のコスモスの花が、満開のコスモスのトンネルになったという最後のシーン。

「……って、どんな絵だっけ?」

物語自体は強く覚えているのに、この挿絵をまったく覚えていない……。

教科書は名作・名画のかたまり

メディアパルさんの企画に、何よりもうなずいたのは以下の一文。

わたしは教科書を4月にもらうと、こくごの教科書は先に全部読んじゃう子どもでした。

私もそうでしたので。最初に読んじゃうと、授業中はやることなくなって、落書きしたりしたんですけどね(笑)

まあ、当時の教科書に載っていた物語のリストを見ると名作ばかり。真っ先に読んだ自分の気持ちもよくわかる。

しかも、教科書は本当に工夫されています。
特に挿絵。「こくご」の教科書は、実は挿絵もすごい。


例えば3年前の2019年「みんなのレオ・レオーニ展」が、東京・新宿の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で開催されていました。

ポスターを見てすぐ「スイミー。レオ・レオニ……」と回想されました。
何度も音読し、人の音読を聞いた小学校2年時。
当時は「レオ・レオニ」で、「ー」がなかったので、なおさら言葉遊びみたいな名前。

しかし、輪をかけて印象的だったのは、やはりその絵でした。
たくさんの赤い魚の中に、たった一匹だけ黒い魚「スイミー」。
物語の筋書きと、絵がぴったりしていました。

「そうかあ、展示会をやるような作者だったんだなあ」


そんな挿絵はいっぱいあります。

「モチモチの木」の滝平二郎のきりえとか。いわさきちひろの水彩画も何かで見たような記憶があります。

それらの挿絵が読みやすくレイアウトされているため「4月の始業式の夕方にはすべての物語を読み終える」わけでした。

挿絵を覚えていない「一つの花」

ところが冒頭の「一つの花」。
不思議なほどに挿絵を覚えていないんです。

物語自体はよく覚えています。

戦争で物のない時代。いつも「一つだけ」「一つだけ」とねだる幼い娘に、出征する父親が手渡した一輪のコスモス。「一つだけのお花、大事にするんだよう」。それから10年。父親はいない家に、明るく響く娘の声。一つの花はたくさんの花「コスモスのトンネル」になる。

と、なんとも映像的。だのに。

「ラストシーンに挿絵はなかったかなあ」とか思うものの、他のどのシーンも絵が記憶に残っていない。

なぜ、挿絵の記憶がないのか?

ではと「一つの花」の次に印象的だった物語を考えてみると「ちいちゃんのかげおくり」。これも戦時中の家族を題材にした物語ですね。
なんだか戦争の話って、記憶に残っているんです。つらいからこそ、でしょうか。

そして「ちいちゃんのかげおくり」の挿絵を思い返してみる。

……やはり、浮かばない。

この「ちいちゃんのかげおくり」も、非常に映像的です。

一家の中で最後に残された幼い娘。「かげおくり」という自分の影を空に「送る」遊びをすると、そこには亡くなった両親や兄弟が。「なあんだ、みんなここにいたのね」。そしてその娘も亡くなってしまう。

挿絵はどんなだっただろう……。


私の“戦争”は絵と物語が一致していない。

けれども、そもそも

ただ、結局のところ、私は挿絵を覚えていないだけかもしれません。

物語のほうに興味があったので、そればかりを読んでいたから。

覚えている絵があるのは、その後の「レオ・レオーニ展」のように見る機会がどこかであったからかもしれません。


じゃあ、なぜ、戦争の物語の挿絵を見る機会がなかったのだろう?

「一つの花」も「ちいちゃんのかげおくり」も印象深いと思った人はたくさんいて(だから教科書にも載ったのでしょうし)、その後、どこかで見ても良いはず。
でも見ていません。


戦争のことはやっぱりつらい。
だからなかなか採り上げられない。

『火垂るの墓』だって、ここ何年も放送されないなあとも思っています。
そりゃトラウマになるほど、つらい映画です。小説を久しぶりに読み返したら、やっぱりつらかった。
でも、つらい思いをすることも良いはず。


絵と物語が一致する“戦争”はあって良いと私は思います。

本物で見せるよりも、ずっとずっと。



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