見出し画像

インタヴュー:ジュエリーデザイナー/職人 浜野美砂さんのイタリアと日本と

ジュエリーデザイナーであり職人の浜野美砂さんは、イタリアに住むうちに、日本で働きたいと思ったそうです。
ちょっと妙に読めるかもしれませんね。

イタリアのフィレンツェで洋彫りを学びながら

画像1

日本で生まれ育ち、日本の繊維会社へデザイナーとして勤めた浜野さん。数年間経ち、退職して、イタリアのフィレンツェへ洋彫りを学びに行きました。
現地で服を買い、現地の言葉を話していくうちに、すっかり街に馴染んでいきます。2年間学ぶあいだで、ジュエリーの作り方も考え方も、すっかりイタリア式の頭になったそうです。
一方、同じ頃にやはり日本から洋彫りを学びに来た男性がいました。彼は「気に喰わない」と、戸惑っていました。
「この国では全部がメチャクチャだ。決まった段階を踏まないし、すり合わせもしない。最後の最後で辻褄を合わせる」
これが日本で3年間働いていた彼には信じられないことでした。しかし、一番戸惑っていたのは、その仕上がり。
「最後に辻褄を合わせる。なのに、出来た物はかっこいい。それが気に喰わない」
浜野さんは、彼の話を不思議に感じました。
(なぜ日本は……)
そこで不思議に思ったから、日本で働きたいと思ったそうです。

皆さんは「せっかくかっこいいものを作るイタリアに来ているのに」とか、「あえて日本に帰らなくても」と思うかもしれません。
その疑問も分かりますが、まずは話を進めてみましょう。
とにかく、そうだったのですから。すんなりと他人に説明のつく行動のほうが、たいてい少ないものですよね。

イタリアと日本のものづくりは、物の見方が違う

vimi06 のコピー

浜野さんは日本に帰ると、ジュエリー会社に就職して職人として仕事をするようになりました。
いざ帰って、日本で働き出すと、イタリアとの違いをどのように感じたのでしょう。
「イタリア人は一歩引いて、物を見ていると思います」
と、浜野さんは話します。
全体を見ている。単純に言えば、体格が日本人よりもしっかりしているので、体格に合う物を選べばジュエリー自体も大きくなる。日本人が身につけたら、負けてしまう。
一方で、日本人はシャイな性格から目線をそらす。首のあたりを見る。パソコンを打つ人の爪先を見るので、細かいデザインになっていると言います。浜野さんが日本に帰ってきた2012年は、特に小さな細工が流行っていました。
金属は加工の最中に、気泡のような細かな穴ができます。イタリア人はそれを気にしません。一方で、日本人はそれをすべてつぶして、磨いてピカピカにします。浜野さんは話します。
「日本の会社の検品って、姑がいっぱいいる感じです。粗探し。すごい細かいですね」
イタリアには、穴をつぶす道具自体がなかったそうです。

道具が違う、考え方が違う

画像2

考え方が違うから道具が違うし、道具が違うから考え方も違ってくる。
これは、イタリアと日本という話だけではありませんでした。
金属を彫る方法に、洋彫りと和彫りがあります。
金属に模様をつけるためには、タガネという細長い刃物で傷をつけて彫ります。和彫りはタガネをトンカチで叩きながら奥から手前に向けて彫ります。洋彫りはシーリングワックスにリングやピアスなどを固定して、片手だけを使って腕の力だけで彫ります。切り口はそれぞれで違う。和彫りは切り口の鋭い線が現れますが、洋彫りはトンカチで叩く和彫りよりも繊細でやさしい線が出るそうです。
さらに、洋彫りの一種に、ハワイアンジュエリーがあります。ハワイアンジュエリーは、洋彫りよりも和彫りよりも、線が深い。深い線を手で彫ろうとすると、何度も同じ線をなぞらなければなりませんが、習字に二度書きが厳禁なように彫りの場合も良くありません。線がずれてしまうことがその理由。ですから、一回で深い線を彫る必要があり、専用の彫り機があります。ハワイアンジュエリーの彫り機は、エアコンプレッサーからチューブでタガネに空気を送り、1秒間に400回近い振動で力を加えます。

浜野さんは、会社に入って初めてハワイアンで使用する彫り機を使うことになりました。それは浜野さんが洋彫りをやっていたからという理由も大きかったそうです。「同じ洋彫りだからタガネの持ち方も同じだし出来るだろう」という理由で選ばれたうえに、職場は和彫りの人ばかり。教えてくれる人はいませんでした。
結局、個人的に社外へ習いに行ったり、日本で買えば20万円くらいする機械を自宅に買ったりしながら習得することになりました。
そんなものだから、社内でも話が合いません。
会社では、同じものを作る必要がある。けれども、和彫りと同じように作るのは無理がありました。

自身のブランドを起ち上げ独立

画像3

2016年。浜野さんは自身のブランド、美々-ViMi-を開きました。
ただ美しければいい、という結論に行きついた結果、想いを名前に託しました。たとえば、忘れられないような第一印象を持ち、ずっと持っていたいと思えるような美しい物。
洋彫りとハワイアンの彫り機をつかって、物を作る。

画像6

開業当初は苦しかったといいます。
フリーになってから、人に言われました。「なんかつまらないもの作るようになったね」と。
媚を売ろう、お金を稼ごう、生活をしようという気持ち。会社にいた経験も、足を引っ張ることになりました。ピカピカに磨きすぎたり、売れる商品を作ろうとしたり、戦略的にトレンドカラーを取り入れようとしたり。
そのうち、その段階を抜け出し、違う物を作り出します。
それは、自分自身の中に、もともとあったものでした。
売っている商品とは別に、自分自身が欲しい物を自分で身に着けていたのです。友人にそれを褒められ、ならば同じ物を作ろうと決めたときに、何かスランプのようなものから、すっと抜け出せたそうです。

記憶を集めてジュエリーのモチーフにする

画像4

数々のジュエリーは、ゼロから作っているわけではありません。
幼い頃から、建築をやっている父親から「本物を観ろ」と言われて、いろいろなところへ連れていってもらったそうです。今、作っている物はそんな記憶などからのコピーの寄せ集めだと話します。
一例に、八角形のリングを挙げてみます。
四角形や六角形も試したそうですが、扱いやすさから八角形に落ち着きました。八角形だと、指がむくんでも、角に隙間があるので抜けやすいという機能面でのメリットもあります。
そして、機能面の理由とは別に、その形の裏には、イタリアがあります。
イタリアの長靴のかかとあたりに位置する、世界遺産、カステル・デル・モンテ。中世の城で、外見も中身も八角形をモチーフに設計されています。この世界遺産が持つ謎の多さが気になっていたということも、リングに八角形を取り入れた理由の一つでした。
どこかで得た記憶が、ジュエリーに反映されていきます。
大学卒業後に働いていた繊維会社でも、繰り返す柄などが好きだったそう。洋彫りの唐草や、食器を囲む絵柄など、何か興味に一貫性があるよう。自然の不揃いの形をまとめるのが得意だと話します。

"違う"ことを選び、個性が現れる

今は百貨店での催事への出展など、さまざまな場所へ足をのばします。オーダーメイドも受け付けていますが、今のところは直接会える人のみに限っています。
冒頭の、イタリアにいながら、日本で働きたくなったという、その理由。
インタビュアーの私は、"違い"なのではないか、と思いました。
イタリアのやり方に慣れていたから、それと"違う"日本へ行く。すべて同じ商品にしなければいけないことを嫌がって、それぞれが"違う"物を作ろうとして会社を辞める。トレンドと同じ物から離れて"違う"物を作る。
何かの基準とは、"違う"方向へと進んでいく強さのようなものを思いました。勝手ながら。

「ずっと続けていったら、自分のテイストが出てくる。その雰囲気を好きでいてくれる人が(ファンとして)残ってくれると言われたことがあります」
だから、この言葉を聞いたとき、インタビュアーは(きっとまた浜野さんは、そこで現れてきた自分のテイストを、また違えたくなるんじゃないかな)と思いました。
そして、その中に新しい個性が現れてくるのだろうと。

浜野美砂さん
美々-ViMi-
https://www.facebook.com/vimijewelry/

(インタビュー 2017年ほか)

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは、活動費や応援するクリエイターやニッチカルチャーハンターへの支援に充てたいと思います!