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RA MU 『Thanksgiving』 (1988)

80年代中期の頃のことである。アイドル黄金時代を駆け抜けた菊池桃子は自らの夢へと再び羽ばたいた。フュージョン集団「PRISM」で腕を磨いた松浦義和を中心とした名うてのプレイヤー、さらに実力派黒人シンガー2名をバックに据えたRA MU(ラ・ムー)。 数枚のシングルを発表後リリースされた唯一のアルバムが、今回ご紹介する88年発表『Thaksgiving』。
本作は80'sジャパニーズ・ブギーとして国内外で再評価高まる作品の中でも、完成度やレアリティはトップクラス。 80年代らしいデジタル・ファンクや、新川博アレンジのミッドナイトアーバン・ブギーなどを収録、当時隆盛のブラック・コンテンポラリー・サウンドを大胆に取り入れ、スマートに研磨させたブランニュー歌謡曲集である。今回は夢を追いかけた先にあった、菊池桃子が本当に「やりたかった」音楽『RA MU』を深堀りしていく。


愛は心の仕事よ

1984年4月発売のデヴュー・シングル『青春のいじわる』から始まった菊池の歌手活動は、独自の試みをもって展開されてきた。振り付け重視で、歌い手の技量はなくとも振りが引き立つように作られた曲が主体であった従来のアイドル歌謡に対し、菊池の振り付けは控え目なものであり、作曲を一手に引き受けた林哲司は難度の高い楽曲も躊躇せずに提供した。こうした試みは成功し、菊池は1985年2月に発表したシングル『卒業-GRADUATION-』から、1987年3月の「アイドルを探せ」まで、シングル曲が7作連続で習慣オリコンチャート1位を獲得していた。しかし、1987年7月発売の『Nile In Blue』ではオリコンチャート最高2位止まりに終わり、8作連続のオリコン首位獲得はならなかった。さらに同年10月発売の「ガラスの草原」はオリコン最高4位まで下がり、レコード売上枚数も10万枚を割るなどで、菊池自身歌手としての人気に翳りが見え始めていた。一方、幼少時からピアノを習い、デビュー以前はピアノを弾きながら歌うことを趣味としていた菊池は、デビュー以降の出来上がった楽曲をただ歌うだけの活動には違和感を覚えており、短大進学を機に制作の早い段階から関与したい、という思いを強めていた。こうした菊池の希望を反映するには、バンドを組んでやるのがよいとの判断から、1987年末にバンド結成が決定した。そう、それがかの『RA MU』だ。
このような音楽性を求めるようになった背景には、1986年から1987年にかけての女性ボーカル市場がレベッカや渡辺美里、岡村孝子、杏里など、よりバンドまたはシンガーソングライター色の強い方向に拡大していったことも大いに影響していると考えることが妥当だろう。

1988年2月17日、菊池は今はなきバブルの象徴・赤坂プリンスホテルにおいて単独記者会見を行い「今後は新たに結成するロックグループ『RA MU』のボーカルとして歌手活動を行う」と発表した。会見の場で菊池は「アイドルでいることに違和感を覚えていた」と転身の動機を述べ「2月24日に第一曲を発売するとともに、同日の「夜のヒットデラックス」においてバンドのメンバーを発表する」と予告した。後に明らかとなったバンドの構成は2人の黒人バックコーラスを擁する7人編成で、本人達は「ロックバンド」を名乗ったが、菊池のアイドル然としたウィスパーボイスはソロ時代と変わらず、またサウンド的にも当時の日本ではそれほど定着していなかったR&B、ファンク等の黒人音楽色が強かった。ラ・ムーの音楽についてリーダーの松浦は「ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)に見られるタイトなリズムに、日本人に受け入れられるナイーヴなメロディーを兼ね備えたもの」だと説明し「ロックと呼んでも歌謡曲と呼んでもよいが、どちらかと問われるならロックだ」と述べた。また、「桃子ちゃんの声質って、ささやきかけるようでデリケートでしょ。だから、その声質を生かせるようなメロディーで、リズムの方は逆にタイトにする。ネライとしてはブラック・コンテンポラリーみたいなかんじでやっていきたい」とも述べている。
ウィスパーボイスについて余談だが、菊池はデビュー時に声を強く出す歌唱法も試していたが、周囲から「商売向きじゃない」「個性がない」と言われた経緯があった。そのため、「声量が足りない」という評価は菊池の耳にも入っていたが、「この弱い声が、信頼するスタッフが勧めてくれたほうだ」と信じ、歌唱法を変えなかったという話がある。

ラ・ムー(楽園)

━━━こうして別の意味で話題になったものの、そのスタイルからコミックバンドのような扱いを受け、レコードのセールスはソロ時代を超えることはできず、オリコンで4位となった『少年は天使を殺す』以降は話題とならなくなってしまった。菊池のバンド始動時の発言は「アイドルのロックバンド宣言」といじられたほど。当時は「アイドル・菊池桃子のトピック」として消費されて終わってしまったのだ。そして、1989年9月、菊池はデビュー当初から自身に関わってきた岩崎の事務所「パーフィットプロダクション」に移籍、女優業に専念することになり、RA MUは事実上解散した。(「凍結」といったほうがいいだろうか)移籍後の菊池はCMでも成功し、一度路線変更に失敗したタレントとしては異例の復活を遂げた。しかし、RA MUは再び見つけられるまで失われた地として土に埋もれることになった。

RA MUという名前を聞いて、どういう意味かと聞く人は今でも絶えないが、ムー大陸の王でもなければロシア語の「ムール貝」でもない。実際の意味としてはフランス語で「楽園」を意味している。音楽としても、メンバーとしても、菊池桃子としても、本作はこの名前に恥じない仕上がりである。
事実、シティ・ポップ・リバイバルによってこの楽園は再び発見された。
特にその存在を知らしめる大きな契機となったのがフューチャー・ファンクを牽引する韓国のDJ「Night Tempo(夜韻)」だ。

僕はもともとラ・ムーを先に知って、そこから菊池桃子さんのことを掘り進めていったんです。ラ・ムーの『Thanks Giving』というアルバムは自分的には完璧なアルバムだと思っていて、昔からいろんな人にもオススメしてきました。音楽だけじゃなく、アルバムのジャケットとかビジュアル面もめちゃめちゃ格好いい。ライブ映像を観ても、黒人女性の横で菊池桃子さんがディスコダンスを踊りながら『愛は心の仕事です』を歌っていたり、本当にすごいんです。でも、僕がそういうことを言うと、当時のリアルタイムを知っていた方はよく“黒歴史”だと言う。それは僕にとって残念なことで。もちろん見ている目線が違うからだと思うんですけれど、僕から見たらラ・ムーは全然“黒歴史”じゃない。むしろ総合エンターテイメントとして格好いいものだと言いたいです。音楽だけでなく、デザインやビジュアルも含めた“総合エンターテイメントとしての菊池桃子”というブランディングをみんなが楽しむようになってほしいと思っています。

「ラ・ムーはデザインやビジュアルも含めた総合エンターテイメント」 菊池桃子の“埋もれた名曲”が海外で再評価されたワケより

菊池桃子ファンを公言するNight Tempoが、2021年9月に配信リリースした菊池桃子の昭和グルーヴに続き、念願叶ってラ・ムーの昭和グルーヴも実現することになり、より認知が広がったと言える。ダンサブルなブラックミュージックの要素を取り入れつつも、ソロ名義の作品同様に、お洒落なシティポップ感で統一し、また菊池のボーカルもソロ時代と歌い方を変えておらず独特な透明感を維持。つまり、魅力的な部分を残しつつ、流行の最先端を取り入れている本作。歌詞の方も、ソロ時代の康珍化や売野雅勇を継続しつつ、田口俊や麻生圭子、さらには菊池本人の自作も取り入れることで、20代前半の学生から社会人の女性像がよりリアルに描かれている。メロディーの方も、メイン作曲家を林哲司から和泉常寛にシフトするという、杉山清貴からカルロス・トシキにボーカルが変わった際のオメガトライブの戦略と同様で、こちらも聴きやすさを継続。サウンド、歌詞、メロディー、すべて丁寧にアップデートされていることが手に取るようにわかる。Night Tempoとのコラボレーションも素晴らしいので、ぜひ聞いてみてほしい。

ねえ笑って

RA MUは今作リリース時点では5人組だった。ボーカルの菊池桃子、キーボードでリーダーの松浦義和、ドラムの中西望、コーラスのロザリン・キールとダリル・ホールデン。菊池と二人の女性コーラスの掛け合いも聴きどころ。なお、RA MUはデビュー当初は物珍しさから注目されたが、それ以降は売上の面でもソロ時代を超えられず。1989年には自然消滅的に解散した。菊池が事務所を移籍して女優に専念したこと、女性コーラスのどちらかがアメリカに帰国してしまったことが理由として挙げられることが多い。 ラ・ムーはロックバンドを標榜していたが、実際のところはソウルやファンク、AOR色の強い曲が多かった。また、菊池桃子のボーカルもアイドルとしての歌い方そのまま。包み込むウィスパー・ヴォイスと、ハードな感触のサウンドとの不思議な組み合わせがRA MUの魅力と言えるだろう。

[A面]

(A1)『Rainy Night Lady』:今作のオープニング曲。シティポップ色の強いミディアムナンバー。流れるようなメロディーが展開されているが、サビはしっかりと耳に残る仕上がり。曲の随所に挟まれるシンセやホーンの音使いが見事で、それが曲の聴き心地の良さにつながっていると言えるだろう。硬質なリズムが淡々と刻まれており、それが曲に力強さを与えている。 歌詞はクールな女性像が浮かぶもの。恋が終わり、また一人の日々が始まる。それすら前向きに捉え、過ごしていくような強さをイメージできる詞世界となっている。また、雨の日の夜を舞台にしつつ、過ぎ去った夏を想起させる詞世界もこの曲の特色。リゾートミュージックのテイストも感じさせるのは、そのような歌詞や清涼感のある菊池桃子の歌声のおかげだろう。オープニングにふさわしく、ラ・ムーの楽曲の魅力を提示するような曲だと思う。

(A2)『Carnaval』:前の曲から一転してポップ性の強いもの。今作では唯一松浦義和が作編曲を担当している。この曲に関しては、サビ以上にAメロがキャッチーな印象がある。また、曲中では特に女性コーラスが存在感を発揮しており、サビでは日本語によるコーラスまで披露している。いや、リードボーカルと言った方が合っているか。サウンド面はシンセが多用された、派手で力強いもの。一打一打がやたらと力強いドラミングもインパクト抜群。 歌詞は異国情緒あふれる仕上がり。この曲で描かれた異国は明言されていないが、自分は中東諸国をイメージしている。その国の乾いた空気さえ伝わってきそうな歌詞となっており、もはや神秘的な雰囲気すらある。 松浦義和も優れた作編曲の実力を持っていたことがよくわかる曲である。もっと楽曲提供があってもよかったのではと思う。

(A3)『夏と秋のGood-Luck』:AOR色の強いミディアムナンバー。美しいながらも、どこか気だるい雰囲気を感じさせるメロディーが展開されている。それはサビになっても変わらない。キレの良いギターのカッティングやホーンがフィーチャーされた派手なサウンドに仕上がっているが、落ち着いたメロディーやボーカルとぴったり合っている。 歌詞はタイトルからも何となく想像できるかもしれないが、恋の終わりを描いたもの。相手が別の女性と仲良くする姿を見て、主人公の女性から恋人に別れを告げたようだ。全体を通して切なさに満ちた詞世界となっており、曲調に似合っていると思う。 メロディーやサウンドが自分好みそのものであり、今作の収録曲の中では一番好きな方に入ってくる。


(A4)『Two Years After』:前の曲と同じく、しっとりとしたバラードナンバー。繊細さを感じさせる落ち着いたメロディーには聴き惚れてしまうこと請け合い。ある程度キャッチーに仕上げつつも、さらに切なさを高めてくるサビも聴きどころ。サウンド面については、ここまでの曲に比べて音の数が少なくなっている印象。ハーモニカやひんやりしたシンセの音色が、メロディーと相まって心に沁みてくる。 歌詞は「過ぎた日の片想い」を描いたもの。「ラグビーのジャージ」「ゼッケン」「競技場の時計」といったフレーズから、その相手は大学のラグビー選手であったことがわかる。この手の詞世界は松任谷由実の「ノーサイド」にも通じるものがあるが、そちらとも負けず劣らずの切なさがある。 「少年は天使を殺す」は先行シングル曲。ここまでの流れから一転し、やたらとテンションの高いコーラスが冴え渡るファンクナンバー。そのコーラスはイントロから凄まじい存在感を放ち、曲を盛り上げる。硬質なリズムにギターのカッティングやホーンが絡み、相当にファンキーなサウンドが展開されている。それだけ聞くとマニアックになっていそうなものだが、メロディー自体はキャッチーそのもの。味付けのバランスが見事。 不穏なタイトルがインパクト抜群だが、歌詞はよくわからない。男性に心を傷付けられる女性を「天使」に例え、慰めている…と思っているのだが、実際のところはどうなのだろう。ただ、コーラスやサウンドがかなり盛り上がっている中でもいつも通りに歌い続ける菊池桃子が印象的なのは事実。ラ・ムーの王道にして、トップクラスの完成度を誇る曲と言える。

(A5)『One And Only』:シティポップ色の強いポップナンバー。菊池と同じトライアングル・プロダクションに在籍していた杉山清貴が作曲を担当した。ヒットメーカーだけあって、サビはシングル曲かと思ってしまうほどにキャッチーに仕上げられた。デジタルな質感を前面に出しつつ、重厚なギターやベース、ホーンといった上質な生音も堪能できる。ラ・ムーの楽曲のサウンド面の大きな特徴と言えるが、この曲ではそれが顕著。 歌詞は「都会(まち)」に出て奮闘する人への応援歌。都会に出ることが光と陰の両面から描かれている。「One and Only キミは違う」「ゼロからやり直せる終わらない夏」といったフレーズが優しく響く。 今作の中でも最も派手な曲の次ということでどうにも地味になっている印象が否めないが、この曲もとても好きなタイプだ。

[B面]

(B1)『Tokyo野蛮人』:先行シングル曲。「少年は天使を殺す」ほどではないが、この曲もかなり派手なファンクナンバーである。デジタルサウンドとパワフルな生音を両立させ、当時の日本の音楽界では異色だったブラコン色の強いサウンドを実現させた。ただ、シングル曲だけあって耳馴染みの良いメロディーは一貫している。特にサビは一度聴けば中々離れることはないだろう。 歌詞はよく意味がわからない。康珍化は80年代を代表する作詞家の一人だと思っているのだが、数多くある仕事の中でも特に一つ頭抜けた詞世界ではないか。とりあえず、サビで登場する「キュッキュッ」のフレーズがインパクト抜群。考えようとすればするほど遠ざかっていくような、そもそも考えることすら愚かではないかと思わされるような歌詞だ。この曲をシングル曲に据えたのは挑戦的だったと言える。

(B2)「片想い同盟」:先行シングル「少年は天使を殺す」のB面曲。ここまでの流れと同じく、ギターのカッティングやスラップベースを始めとしたファンキーなサウンドが展開されているが、それ以上に王道ポップなメロディーが印象に残る。キャッチーなのはもちろんのこと、他の曲にはあまり無かった優しさや温かみも感じさせるメロディーである。また、女性コーラスもこの曲では聴き手に寄り添うような歌声で曲の魅力を引き立ててくれる。 歌詞はタイトル通り、片想いしている人同士で話し合ったり、励まし合っているイメージがあるもの。「あなたは自由よ」「恋は気まぐれなものよ ねぇ笑って」という歌詞が優しく沁みる。シングルの流れで聴くと、A面で傷ついた人をB面で慰めているような感覚すらある。地味と言ったらそれまでだが、渋い佇まいのある曲だと思う。

(B3)『Late Night Heartache』:これまでの流れと同じく、キレの良いファンクナンバー。サビまでは淡々としたメロディーだが、英語詞が多めのサビで一転して極めて耳に残りやすいメロディーをぶつけてくる。サウンド面では、他の曲よりもデジタルな味付けが強くなっている印象。硬質なドラムや当時特有のシンセの音色を響かせつつ、ギターのカッティングも主張する。 歌詞はタイトルからもわかるように、失恋をテーマにしたもの。星を想起させるフレーズが多く登場し、幻想的な雰囲気も漂わせるが、全体としては切なさのある詞世界となっている。 ここまで来てしまうと、似たような路線の曲が揃ってしまったような感じがしないでもない。一曲単位では好きなのだが、今作の中では埋もれてしまっている印象が否めない。

(B4)『Love Talk』:今作のラストを飾る曲。「少年は天使を殺す」からはファンキーな曲がずっと並んできたが、この曲はぐっと落ち着いたバラードナンバー。メロウな雰囲気に溢れた、叙情的なメロディーが心に沁み渡る。音の数も少なくなり、可愛らしさと艶を併せ持った菊池桃子の歌声を聴かせるイメージ。その中でも渋い音色でサウンドに彩りを添えるギターサウンドが味わい深い。 作詞では共作という形で菊池桃子も参加した。菊池なりの恋愛観とでも言うのか、メッセージ性の強い言葉が並んだ詞世界となっている。「女の娘(こ)の願いは 一人の恋人(ひと)から 好きと言われたいの 嵐のように」という歌詞は考えがうかがい知れる。 ここまでファンキーな路線できたなら、最後もファンキーにしてほしかったという感はある。アルバムの中盤くらいが適任だろうか? あまり売れた作品ではないので、中古屋ではたまに見かける程度。それなりの価格で出回っていると思われる。ただ、この作品は一曲単位ならば最も好きな菊池桃子の楽曲だ。アウトロの情動的でメロディアスなサックスは昔の故郷の湖を何故か想起させる。子供の頃、よく親に連れられ湖の周りをドライヴした。そんなヴァイブスを感じる一曲だ。

あとがき

RA MUは菊池桃子の黒歴史というような扱い方をされがちで、ネタ的な視点で語られることが多いと思う。そのため、楽曲に関しては中々再考されることが無い印象がある。ただ、リリースから30年が経った今になって聴くと、あまりにも早過ぎた存在であったことがわかる。今ではブラックミュージックを取り入れたアイドルポップスを展開したグループもあり、違和感無く聴けることだろう。RA MUは30年早かった。しかし、時代はようやく追いついた。今作についてはどの曲も安定してキャッチーであり、コーラスを含めたサウンド面もかなりの聴きごたえがある。生音ももちろんのこと、シンセによる音作りも面白みがある。時代性を感じさせる部分はあれど、それも今作においては魅力と化している。
本作はこの時代にしか作れなかった名盤だと言えるだろう。 この時代の作品は、リマスターされるとさらに聴きごたえが増すのだ。(ピンクカラーのヴァイナルが流行りだろう、『ファンキー・スタッフ』もそうだった)
今年はアナログ盤という形でリマスター再発されたものの、数量限定という状況。時代がようやく追いついた傑作、シティ・ポップファンなら必聴だ。

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