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【読書】パワフル&ダイナミックなドラマ、西加奈子さんの世界。

どんなに号泣したり至福の喜びに浸ったりした思い出も、過ぎてしまえば忘れてしまう。あれ?どんなだっけかなと記憶の中で曖昧になる。そんな風に過去を色褪せさせてしまうのは、自分だけかもしれない。もしかすると自分は薄情なのか、淡白だったのか、と疑いたくなる。

読書も同じ。いま自宅には本棚に入りきらず、廊下に積み上げられたままの大量の本がある。打ちのめされるような結末に感動でふるえた小説も少なくない。それにも関わらず、どんな内容だったか思い出そうとすると、はて?どんなだったかな、と首を傾げてしまうことがある。

西加奈子さんの小説にのめり込んだのは『サラバ!』の文庫、上・中・下の3冊がきっかけだった。イランの病院で生まれた男の子、 あくつ歩を中心に、家族の激動の人生を描いた物語だ。読み始めたら止まらなくなり、一気に読破してしまった本だった。

ところが、いま内容を思い出そうとして困惑している。どどどどっという勢いだけが残っていて、描かれていたエピソードを何ひとつとして思い出せないのだ。

幼少時代には輝かしい存在だった主人公が、年を取るにつれて冴えないおっさんになって、頭髪も薄くなっていったという大筋のストーリーしか浮かばない。どういうことだろう。作者の西加奈子さんに申し訳ない。

同じ頃に読んだ『ふる』に至っては、読了した本であることを忘れたままAmazonで注文して、あやうく2冊ダブって所有するところだった。廊下の本の地層を掘り返して本をみつけて、あわててキャンセルした。

X(旧Twitter)に読了した本を記録がわりに投稿しているのだけれど、いま読了後の感想を検索して振り返ると『ふる』は、かなり奇抜な物語だ。ああ、そういう物語もあったなあ、という感じである。それなのに覚えていなないとは情けない。

最近、読み終えた本の中には『漁港の肉子ちゃん』がある。こちらは幸いなことに、まだ記憶に残っている。

表紙に裸体のイラストが使われているせいか、エロい物語を想像して敬遠していた。ちなみに、文庫の表紙のイラストは西加奈子さんご本人が描かれているのだが、手に取るのを躊躇した。

ところが読み終えてみると、ド演歌ともいえる母親と娘の純粋な物語だ。太ってだらしがないが、どこか憎めない焼き肉屋で働く肉子ちゃんの存在に、魅力を感じた。

終盤、え?この娘はどうなってしまうんだ?というクライマックスが大胆にぶち切られ、別の場面が挿入される。もやもやを感じつつ読み進めていくうちに、最後はすべてがつながる。救済に向かうジェットコースターのような展開に号泣した。素晴らしかった。

こうしたパワフルでダイナミックな物語が、西加奈子さんの作品の特長だと感じている。『こうふくの みどりの』では登場人物の会話だけでなく、地の文でも大阪弁が弾ける。ぐいぐい読ませる。読者をあっちこっちに降りながら、最後には、あったかい救済が待っている。

『漁港の肉子ちゃん』を読んだのは、J-WAVEの山口周さんと長濱ねるさんの番組で紹介されていたからだ。『おまじない』の巻末に西加奈子さんと長濱ねるさんの対談があり、このとき長濱ねるさんは感銘を受けて号泣されたという。

もしかすると西加奈子さんの生き方や存在自体に、号泣を誘うオーラのようなものがあるのかもしれない。最新刊の『くもをさがす』は癌の闘病を綴った初のノンフィクションだそうだが、まだ読んでいない。きっと泣く。

とはいうものの、きっといつか、この感動のすべてを忘れてしまうだろう。

人生とは、過ぎてしまえば、みんな忘れてしまうものだ。完全燃焼すれば灰になり、灰は風に吹かれて散って消える。それが人間や人生にとっての最高の「救済」ではないかな、と思った。燃え尽きずに残ると、そこに後悔や執着、満たされない思いが生じる。灰になることが尊い。

豪快に笑ったり泣いたりすれば、すっきりこころは晴れて、さあ!明日に向かって歩き出しますか、という気分にもなる。西加奈子さんが書かれている小説は、読了後にそんな清涼な読後感がある。

いつか再読したときに、新たな感動を得られるのかもしれない。完全に内容を忘れてしまったら、新しい人生を始めるように本を出合うことができるだろう。こういうことがあったという既視感のような体験もできるはずだ。

そんな期待を込めて、西加奈子さんの本を読んでいる。

2024.05.10 Bw

※ この先は、Xの読了リンク多数なのでご注意ください。


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