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「軸曜日」という考え方。

いま使っている手帳は、見開きで1週間を記入する。左側の月曜日から始まり、右側の日曜日で終わる。

週末と簡単に言うけれど、いったい何曜日をいうのか。調べてみるとNHKの1999年の調査では、土曜日と日曜日を週末と考えているひとが47パーセントで主流派のようだ。男性は金曜日を週末に含める傾向があり、女性は日曜日を週末に含める傾向があるとのこと。

つまり自分の手帳でいえば、週末は右ページの隅にある金曜日、土曜日、日曜日になる。一般的なカレンダーの配置だと思う。

ものによっては日曜日から始まるカレンダーもある。NHKの調査から考察すると、日曜日始まりのカレンダーは、女性の週末観を反映していないのかもしれない。

たとえば土曜日や日曜日に働いて火曜日が休みのひと(ショップの店員さんとか、会社勤務ではないひととか)なら、月曜日が休みの前日であり、週休2日制の会社員における金曜日にあたる。したがって、月曜日から週末が始まるのではないだろうか。

こうした考え方は、休日を基準としている。しかし1週間の軸となる曜日は、ひとそれぞれでいい。

週の中だるみとして注意しなければならない曜日を考えると、水曜日が1週間の軸になるかもしれない。水曜日をどう切り抜けるかを中心に1週間を考える。好きな曜日は木曜日というひともいるだろう。火曜日と木曜日は影が薄く感じるが、推してあげたい気がする。

そんなことをつらつらと考えているうちに、ふと「軸曜日」という言葉が浮かんだ。

多様性の時代といわれるが、平日が月曜日から金曜日、週休2日制の休日が土曜日と日曜日という「軸」だけではなく、それぞれの基準の軸があっていいのではないだろうか。

もちろん世間一般のマジョリティの軸とは違うマイノリティの軸を基準にすると、いろいろしんどいこと、悩むことがあるかもしれない。

みんながのんびりと過ごしている土曜日や日曜日に、なぜ自分だけ働いているんだろう?と苛立つこともあるだろう。しかしながら逆に世間一般で忙しい平日にゆったり過ごせるのであれば、おあいこといえばおあいこである。

いったん常識的という考え方を取り外して、自分の軸に自信を持てば、他者と比べなくても構わないし、他者の軸に縛られる必要はない。自分軸を、もっと大切にしてよいのでは。

世間一般に合わせようとすると、面倒であり疲れる。自分軸で生きるならば、無理がない。長さではなく価値観を測るモノサシは自分専用のものを使い、他者と比較しようとしないこと。ぶれない自分軸を作ること。

一方で、注意しなければならないのは、自分とは違う軸で生きているみなさんのことを忘れがちになり、軽視しがちなことである。

自分の軸が正しい、他者の軸は劣っているという固定観念があると、自覚がないままに差別が生まれる。たとえば、農業に従事されている方を蔑むような発言をした静岡県知事のように。

川勝平太氏の問題は、知的労働者が優位であり、第一次産業は頭脳労働ではないと信じて疑わず、発言に悪意がなかったことだ。アンコンシャス・バイアス(unconscious bias、無意識の偏見)と呼ばれるようだが直しようがないだろうし、反省もできない。しかし、こうした傾向は多かれ少なかれ誰にでもある。

話をもとに戻すと、軸を自分で設定するなら、夜を軸に生活をしてもいいし、暇を軸に据えて生きても構わないだろう。時間の使い方がもっと自由になる。眠れない夜を恐れることもなく、暇な時間をもてあますこともない。

そのスタイルが自分にとって生きやすいのであれば、設定した自分軸で生きるのがいい。もちろん結果として世間一般と同じ軸で生きるのが落ち着くというのであれば、それでオッケーだ。

4月が始まって2週間。東京の桜はみんな葉桜に変わった。

肌寒い日が続いて、なんとなく春という実感がいまひとつではある。進学したり、会社に勤めたり、新たなスタートを切ったひとも多いだろう。

新社会人になった頃を思い出すと、毎朝アラームを設定して起きて、会社の始業に間に合うように通勤しなければならないことが、とにかく苦痛で仕方なかった。社会軸に合わせようと必死だった。

そうやって無我夢中で日々を繰り返しているうちに、やがてスーツに馴染み、ラッシュアワーの混雑に埋没して、生きることが惰性になった。

いまにして思えば、そうじゃない軸の選択肢はたくさんあった。ただし、そうでしか生きられなかった自分を肯定したい。自分で選択した軸に対しては言い訳ができない。後悔したくない。

今日は土曜日。週末に始まる図書館、J-WAVEの『BIBLIOTHECA』という番組を楽しみにしている。

お気に入りの時間を軸として、週末が動き始める。

2024.04.13 BW


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