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自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (4) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease

血漿けっしょう交換】

 皮膚筋炎の入院初期の治療として、前回書いた薬物療法のほか、入院9日目、12日目、14日目、そして本日17日目に、血液中の血漿けっしょう成分を交換する血漿交換の治療を受けた。今後、入院19日目にもう一回、合計5回の血漿交換が予定されている。
 血液は、赤血球や白血球などの血球成分と、それ以外の血漿成分からなっていて、血漿成分の中に今回の病気の原因となる自己抗体が含まれているのだそうだ。そのため、自分の血液を一度体外に取り出して血漿成分を分離した後、自分の血漿を他人の血漿で置き換えることで病気の原因となる物質が除去できる、という仕組みらしい。
 実際には、ベッドに横になって、両腕の血管に少し太めの針を刺して、片方の腕から血液を取り出し、反対側の腕から戻すことになる。一回の血漿交換にかかる時間は約3時間、処理される血漿量は約3リットルで、体内の血液が一度にすべて置き換わるわけではないため、一連の治療として通常複数回を繰り返し行うのだそうだ。5回の血漿交換を終えるころには、自分の血液中の血漿成分がすっかり他人のものに置き換わっていて、これも人生初体験、新しい自分に生まれ変わるようで、なんだかワクワク面白い。こういうところでも、どこの誰かも分からない多くの皆さんに支えられて生きていることへの感謝とともに、世界中の人は皆つながっているんだ、と実感する。

 生物学者福岡伸一氏の言う、「生命とは動的平衡(dynamic equilibrium:ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」を思い出した。実際私たちの身体は、普段から、分子レベルで考えれば全身の細胞のそのすべてで置き換わりが起きているのだそうだ。爪や皮膚、髪の毛であれば、絶えず置き換わっていることが実感できるが、あらゆる臓器や組織、骨や歯でも、内部では絶え間のない分解と合成が繰り返され、休みなく出入りしているという。
 絶え間ない物質、エネルギー、情報の交換。生きているということは、常に自らを壊しつつ、創り変えることでなされている。分解と合成を繰り返し、あやういバランスを保って生きている。
 血漿交換の治療を受けながら、今自分の身体はまさに生きている、動的平衡にある流れだと感じた。

 血漿交換の実際の現場では、最初に両腕の血管に少し太めの針を刺す(穿刺せんし)のが少々難易度の高い技術なのかもしれず、担当の若手T医師が何度か失敗して刺し直す。横についているベテラン看護師が見かねて、「先生、血管よく見て、もっと浅いから寝かせて」と声をかける。T医師が緊張して再挑戦するドキドキした胸の鼓動がこちらにも伝わってくる。ベテラン看護師から、「これくらいでさっと、もっとよく見ないと、もう先生、指導料とるよ、余分に使った針代も」と声がかかる。まったく嫌味なく、温かい愛情あふれるやりとりに、失敗の現場でこちらもほっこりする。針を刺し直した腕はその後しばらく少々腫れることになるが、まったく嫌な気分にはならず、私の血管で経験を積んでT医師の技術が向上してくれたら本望だな、とこのとき素直に思えた自分がいたのは、これまで関わってきた国際交流プログラムで、たくさんの若者が経験を積んで成長していく姿からたくさんの喜びをもらってきたからだと思った。ベッドに横になって、両腕の血管に少し太めの針を刺しながら、自分にとって人材育成・青少年育成に関わってこられたことの価値、そして、これからも大切に関わっていきたい自分がいることを再認識し、こんな腕の痛みもなかなか悪くない、という気分になった。
 T医師の名誉のために付け加えると、普段の診察はとても頼もしく、誠実に適切に対応してくれるので、大変信頼している。

 こうして、順調に血漿交換が進んでいくが、2回目が終わった直後、全身が赤くなって火照り、軽いアレルギー反応が現れた。幸い軽い反応で、1時間もしないうちに収まってきたが、やはり他人の血液を大量に体内に入れることになるので、反応が出ることもあるようだ。具体的に何に対してアレルギー反応が出たのかの特定は難しく、考えられる可能性を排除するため、1〜2回目には膜を使った血漿分離器を使用していたのを、3回目以降は膜を使わない遠心分離方式の血漿分離器に変更した。結果、3回目以降はアレルギー反応も現れず、本日入院17日目に、無事に4回目まで終了した。

【病気のおかげ】

 毎回の血漿交換の前後に体重を測るが、久々に測った体重は、以前よりも約6kg減っていた。気がつけば、腕や脚も細くなっている。このままの入院生活が続いたらまずいと思い、毎日、病室でのスクワットや、余裕のあるときには大学病院と大学キャンパス内の散歩を始めた。幸い、それができるくらいまで、体調が落ち着いてきている。特に、私の病室の目の前の大学キャンパスには豊かな緑が広がって、その中の散歩は気持ちが良い。病室にこもっていた2週間の間に外の気候はすっかり変わり、初夏の爽やかな日があったと思えば、30℃の真夏日になり、外の世界はどんどん動いているだな、と実感する。
 のんびり散歩をしていると、今回の病気に出会ったおかげで気づいたことや再認識したことが続々と頭に浮かんでくる。この病気は、これからの人生の後半を進んでいくために必要なことだったんだ、きっと天からのギフトなんだ、と思えてくる。入院生活でのバランスの良い3食と体調管理を経て、これからはこれまで以上に健康で豊かな自分らしい人生を送ろう、という意気込みがわいてきた。

(つづく)

(カバー画像:血漿交換で取り出したもともとの自分の血液中の血漿成分約3リットル)

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