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自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (1) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease

【はじまり】

 人生半世紀を生きてきて、51歳6か月半の2024年5月30日、私は、「皮膚筋炎(抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎)」(Anti-MDA5 Antibody-positive Dermatomyositis: MDA5-DM)と診断された。皮膚筋炎は指定難病の一つで、自分自身の免疫が肺や皮膚などに過剰に反応してしまう自己免疫疾患である。全身性の自己免疫疾患を総称して「膠原病こうげんびょう」ともいう。また、2024年4月時点で、日本では341疾患が難病法の対象疾患として指定を受け、「指定難病」と呼ばれている。
 指定難病と聞くとびっくりするが、診断が確定したときの私の心中はかなり穏やかだった。というのも、それまで約2か月にわたり体調が悪く、様々な症状が出ていたが、クリニックを受診して薬を処方してもらっても良くならず、血液検査・レントゲン・CTスキャンなどの結果も悪くなく、原因不明のまま症状は悪くなるばかりだったため、やっと原因が特定され適切な治療が始まった安心感で、心に光が差し、不安は消えていた。
 私の人生の大きな転機となるかもしれないこの機会に、これまでの人生を振り返り、今感じていることなどをまとめておきたい。

【診断が確定するまで】

 2024年3月後半にタイへの出張があり、このころから右の頬が赤く腫れ始めた。私は普段、国際交流プログラムのコーディネートに従事しているが、このときのプログラムでは、タイのジャングルや海辺の自然豊かな環境の中で、現地の子どもたちと一緒に寝食をともにする機会があったため、虫刺されなどかもしれない、と日本へ帰国後の4月8日に皮膚科を受診した。皮膚科では、特に悪いものではないから、と軟膏を処方してもらった。
 その後も右の頬の腫れがひかず症状が改善しないため、4月20日にかかりつけの歯科を受診し、レントゲンを撮ったが、歯も口腔内も悪いところはなく、やはり皮膚科の方が分かるのでは、という診察結果だった。
 その後、4月末から5月初旬にかけて再度タイへの出張があり、このころには、手の指先が水ぶくれのようになり皮疹が出始め、微熱が続くようになっていた。(後に、この手の指や肘・膝に出てきた皮疹は、皮膚筋炎の特徴的な症状の一つ、ゴットロン丘疹・ゴットロン徴候であると分かった。)
 日本へ帰国後の5月7日にかかりつけのクリニックを受診、血液検査を受けたが、結果は特に悪くなく、相変わらずの軟膏とアレルギー薬を処方してもらう。その後も症状は改善せず、気管支炎のような症状が出始めるが、胸部レントゲンの結果も悪くなく、5月13日、抗生物質と気管支炎用の薬や吸入薬を処方してもらう。(後に、この気管支炎のような症状は間質性肺炎といって、皮膚筋炎に合併して発症する特徴的な症状であると分かった。)
 それでも、皮疹や気管支炎のような症状は悪くなるばかりで、5月17日ごろからは、毎日38〜39℃台まで熱が上がったり下がったりするようになり、いよいよおかしいと、5月22日、かかりつけのクリニックから、近くの大学病院への紹介状を書いてもらった。
 早速5月23日朝に大学病院を受診、感染症科のS医師が、非常に丁寧にこれまでの話を聞いてくださり、状況を正しく理解して、そこから導かれることをはっきりと分かりやすく伝えてくれた。血液検査や造影剤を用いたCTスキャンを受け、まだ原因は特定できないが、それでもお会いした初日に、「一週間以内に結論を出しましょう」とはっきりとした強い口調でおっしゃったS医師のことばが大変心強く、「ああ、良かった、これできっと前へ進める」と安心感に満たされたことを、強く覚えている。
 5月27日朝、大学病院での2回目の診察。3月後半からタイへの渡航が続いていたため感染症科を受診したが、精密検査の結果からは感染症の可能性はほぼ排除された。今回の症状とタイへの渡航は関連がなく、皮膚の症状に注目すべきかもしれないとピンときたS医師は、その場ですぐに膠原病(こうげんびょう)内科につないでくださり、膠原病の確認をするための追加の血液検査を受けた。
 結果、この追加の血液検査により抗MDA5抗体陽性(基準値のなんと150倍の数値)が判明し、皮膚筋炎(抗MDA5抗体陽性)の診断が確定、5月30日朝に大学病院での3回目の診察に行くと、すぐにそのことを告げられた。抗MDA5抗体陽性の場合、高頻度に急速進行性間質性肺炎を併発し、数日から数週間で急激に悪化して呼吸困難になり命に関わることもあるとのことで、自宅に帰る間もなく即入院、治療が始まった。確かにこの時点で、私も間質性肺炎の症状がかなり出ていて、のどの痛みや痰などがないにもかかわらず頑固にせきが出て、肋骨が痛くなるほどで、夜寝ているときに命の危機が一瞬頭をよぎることがあったように思う。
 似たような症状を抱えていても、皮膚筋炎の診断を受けるまでにもっと長い時間がかかる方も多いようで、私の場合は、かなり早い段階で大学病院を受診し、迅速な判断を受け、適切な治療を始められたことは、本当に幸せだった。

 「一週間以内に結論を出しましょう」とはっきりとした強い口調でおっしゃった感染症科のS医師のことばどおり、ちょうど一週間で結論が出たことが非常に印象的で、信頼できる医師に出会えたことをうれしく思うと同時に、同じ検査を受けるにしても、視点がないと何も見えない、ということを強く感じた。
 こうして、私の人生初の入院生活が、突然始まった。

(つづく)

(カバー画像:入院している病室のベッド)

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