【写真】get loud,our spirit,with #slowlight.
春先というのは、例年どおり、今年もやっぱり気分が乗らない。
熱狂の早春が走り抜けてしまうと(WBC)、なんだかさ、抜け殻みたいになっちまった。そんなこと言ってる場合じゃないんだけど。
思えば一昨年の夏。
知り合いすらいない、ガソリンスタンドの場所も知らない、見慣れたチェーンのスーパーさえない、高知に移住してきたとき。
心細かった。
しかし、あのときはオリンピックがあった。頂点へ駆け上がる野球日本代表の雄々しい姿に涙さえ流して、よろこんだ。あのとき、侍ジャパンは金メダルを獲得した。
今春もやはりそうだ。
どうしよう。どうすればいいんだろう。
そんな、不安と迷いが目の前に立ち塞がるとき、いつも野球がある。そして、日本代表チームは世界に君臨するのだ。そんな勇者たちの姿を見て、立ち向かおうと、僕は弱音を奥歯に噛み潰す。
ひそやかにファン意識で投稿が楽しみなnoteクリエイターさんがいまして。
生活のこと、食べたもの、お好きな服のことなどを丁寧に、きめ細やかに、ときに、とても感覚的に綴ってらっしゃる人。光をとらえる角度があるんだなって感心しています。
小さくて見落としがちなささやかなよろこび。見慣れた暗がりにひそんでいる意思。すれ違うこともある、人と人。そんなひとつひとつを手にして、ぱんぱんと埃をはらって、小さな体(人なんて、程度はあれ、皆、小さなものだから)に、しっかりと受け止めて、いつか訪れるはずの金色の草原に解き放とうとしているような。
そんな文章を書かれている。まだお若い人なのに、どこか達観や透徹さえ感じる。
なにげない日常を美しい言語に、言葉に変換することのできる人なんです。詩や小説を投稿されている人よりも、多くの感心がある。
月曜はその人の投稿が楽しみ。
その昔。
僕はある友人と、ロックユニットを組んで奮闘していた。ボーカルとギターを僕が、その友人がギターとベースを。ドラマーは見つからず、友人がマシーンで作ってくれていた。
二人で良かった。
それ以上、足さず、そして、そこから引かないように。二人で良かったのだ。僕たちはお互いを「最高の」というくらいの親友だった。
しかし、思った音楽にはならなかった。
僕たちは、ミッシェルガンエレファントや、ブランキージェットシティのような、サウンド重視の本格的なロックがやりたかったのだ。
ある日、彼は言った。
「ビリーの声と言葉で、スピッツとか、ミスチルみたいな路線に変えよう。そのほうがいいと思う」
お前はシンガーソングライターとして、メロディと歌詞と、コードを考えてくれ。コードは3つか4つでいい。トラックは俺が完成させる。アコギでコードを弾けばいい。
「ビリーが歌いたいことを歌えばいい。メロディを考えろ。歌詞を書いてくれ。お前ならやれる。俺はお前の歌を活かせる、最高のバックになる」
方向を変えると、うまく行くことがある。バンド路線を諦めて、歌ものをやってみると、思いがけず、良い歌ができた。
スピッツやミスチルというよりは、どことなくオアシスだった。そのころ、僕は、オアシスやレディオヘッドもよく聞いていたから、そうなったのだろう。
あのころ。音大の子と付き合っていた。結局、うまくいかなかったけれど。うまく行かなく良かったのだ。
あのころ。
僕にも事情があったんだけど(母が大病していることがわかった)、そのユニットを一方的に終わらせることになってしまった。
後悔している。きっと、彼は大きな期待をしていてくれただろうに。
僕たちは、これからの僕たちに大きな期待をしていたのだ。あのまま、音楽を続けていたら、僕たちはどんな曲を作っていただろう。
いつか、再会するときがあれば、心から謝りたい。
「志乃ちゃんは自分の名前を言えない」、「さよならくちびる」という、ギターデュオの物語を観ていたら、ふいにそのことを思い出した。
春はきっと、そんな季節なのだろう。
春といえば、波瑠さん。
音声をオフにしていたから、なにをしているのかはわからないけど。昨夜、波瑠さんが出演されているテレビを観ながら。
相変わらず、お美しいなぁ、波瑠さん。
それでは。また。ビリーでした。
photograph and words by billy.
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