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短編小説「国境線上の蟻」#13



 数秒前。君は君に銃口を向けた。硬く冷たい金属をこめかみに押し当て、ほとんど躊躇することもなく、引き金を引いた。君はそのタイミングを探していた。そのために生きてきたんだ。
 二十五歳。人はそれを短い生涯だと言うだろう。嘆く誰かもいるかもしれない。
 君はどう思っていただろう。
 人の生涯など、その差はあれ、所詮、短いものでしかないのだと。生き永らえることのできない生涯でもあった。生まれたときから、早逝が決まっていた者もいるのだ。
 君がそうだった。本来は、ワン・ジェンミンもそうだったであろう。どちらに善悪があるわけではない。永遠に生き続けることはできない。死は生の延長線上にあり、生は死に付随する。ただ、それだけのことなのだ。
 君はいつも走者として、逃げ続けなくてはならなかった。安眠できる場所を探したことすら記憶から溢れ落ちる生涯だった。
 目を閉じる。過去を幻視する。そのすべては牙を剥いて君に覆い被さろうとした。悲鳴をあげて目覚め、すぐ近くにある何かを蹴飛ばし、ときにはピストルで撃った。 
 この世界のなにもかもに引き鉄を引くことができれば、どれほど明快だったであろう。この世界は、弱者を弱者として生存させるための装置に満ち溢れていた。人は野生を隔絶しようと、あらゆる術を捻り出したのだ。それこそが人の歴史であり、進化の過程であった。
 しかし、だからと言って、野生が消えてなくなることはない。野生動物に襲われたときは、法律は君の味方にはならない。狼に追跡されているとき、君を救う、あるいは君を援助してくれるシステムは構築されなかったし、これからもされない。人は真実から目を離すことで進化を遂げた。
 しかし、人を含めた生き物は、すべて、野生という自然に含まれて生きる以外にないのだ。人は台風を、嵐を、あるいは、高波を、地震を、駆逐せしめただろうか。未来永劫、それは起きない。
 人は野生を隔絶できないし、そもそも、人のなかにも野生は生き続けている。本能は、欲求は、野生の名残なのだ。野生そのものなのだ。
 若く美しいメスを求めるオス、強い個体を探して尻を振るメス、いかに倫理や制度に押し込もうと弱者が目論んだところで、強者はその制度の外で笑っている。母と娘の両方をその手にしてしまうオスがいるのだ。夫を捨てて、娘をエサにして強いオスを奪いに行くのも、メスなのだ。人は猿山の猿と変わらない。そこには善悪なんて用をなさない。しかし、それは現実なのだ。闘争が起きるかもしれない。しかし、闘争は本能なのだ。争い、戦い、相手を屈服させることで起きる快感を失くした者から死んでゆく。
 人は動物でしかないのだ。

 君はいま、閉じる直前の視界に、生まれ落ちたころのことを描いていた。それは単なる回想ではなかった。君は感傷など持ってはいない。捨てた過去のことを思い出そうとしたこともない。
 死する直前に走馬灯が起きると聞き覚えはあった。誰が言ったのだろう。ぼんやり見つめていた、退屈なテレビショーの虚弱な老人が得意げに語っていたのかもしれない。
 それはおそらく、制止寸前の脳の誤作動なのだろう。君は初めて見上げた太陽の光のことを思い出していた。
 ダンボール箱に放り込まれた君は、底に敷き詰められた使い古しのタオルのがさつきの上で、風に晒されていた。泣き声はあげなかった。カラスやネズミや、あるいは野犬や猫や、そんな生き物たちに居場所を知らしめてしまうからだ。乾き切った喉の上下が張り付く。咽せる。吐こうにも胃の中に内容がない。吐き出せるなら内臓でも吐き出せれば良かったが、ビルの間の狭い上空を鳶が旋回していた。君の柔らかい腹を突きたいのだろう。鋭いくちばしは、そのためにあるのだ。だから、君は、内臓を吐かなかった。泣いた瞬間に、獲物になった。
 少し育っていれば、男なら、労働力に変えられた。女なら、性具として連れ去られた。
 どちらにしても安値で売り飛ばされた。どちらにしても奴隷だった。しかし、小さな子供は育てることに労力と資本が必要になる。十歳になるまで生き延びるには、親が必要なのだ。
 生き場を持たない、君のような子供たちが溢れかえっていたのだ。名前も、出生届もない、親のない子供たちは路上に捨てられ、その多くが獣に食われた。人の子供が美味しいことを、獣たちはよく知っていた。
 二千年代を迎えた、かつての繁栄国は戦争とその冬を迎えて、狭い領土を強国によって分断されていた。
 米国と中国。その傘下の国々。かつて、日本と呼ばれた小さな島国は、戦争に敗れる前から敗戦を始めていたのだ。
 君は国境線の真上に生まれたのだ。国と国の境に産声をあげ、すぐに野に放たれた子供だったのだ。

つづく。
photograph and words by billy.

なんだか、とんでもないことを書いてしまっているようで、不愉快に思われた方がいたら、申し訳なく思います。
あくまでフィクション、作り話です。

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