【本日解散】サンキューBiSH、くそったれ、ロックンロール。
数年前。
メンバーの一人、モモカンこと、モモコグミカンパニーさんが言っていた。
「(乃木坂のような)あんなキラキラした人たちには、私たちはなれない」
それに気づいてしまった彼女らは、愚直なまでに必死に駆けることを決めた。振り返ると、その足跡には、やがてロックが宿った。
BiSHの、彼女らの、その生き様に、ロックンロールの神が微笑んだのだ。そして、愚かしいまま散ろうと、その瞬間を狙ったのだろう。
BiSHは、必死にふざけて、必死に走って、必死に、歌った。
パンクを名乗った。
パンクなんて、しょせんは、ゴミのように扱われる音楽だし、それこそ、その本来の在り方なのだから。
ライブに訪れた、かつてのロックファンだったであろう、とうに若くはない人々を見るたびに思っていた。彼らは、ロックなんていう、とうに死にかけた、古びた音楽の、その痕跡を、しかし、決して滅びぬ誇り高きロックの魂を、BiSHに見つけたのだ。
ミッシェルもブランキーもいない時代に、ようやく見つけたのは、あの日のように、胸を躍らせてくれる誰かは、BiSHという、女の子たちのアイドルグループだったのだ。
僕だってそうだった。
BiSHはうまくなんてならなかった。へたくそなままだった。でも、うそはつかなかった。かっこつけたかっただろうに、かっこつけられもしなかった。洗練にはほど遠く、ダサくて、いつも泣いていた、泣かされてもいた。
六人が揃ってポンコツなんて、揃えようにもそうそう揃わない。
だからこそ、BiSHはその瞬間、誰よりもロックだったのだ。ロックの神は、彼女らに行く末を語ったのかもしれない。
ほんとに、この人たちは、飾らないけれど、そのぶん、へたくそなままだった。
だめなまんまってのも、全然、悪くない。
だって、不器用でも、一生懸命だったし、俺たちはその姿にロックを見たんだ。
「負けるものか」と、自らを奮い立たせて、弱音に泣いた昨日の自分を飛び越えようと走り続けた。「みんなで走り抜けたかった」八年と三ヶ月は、昨日の自分を葬り去って駆け抜けた季節。その奇跡と、軌跡。
ロックの魂とは、負けじ魂。負けるものかと歯を食いしばって貫く虚勢。結束した六人は、アイドルらしからぬ勇姿で、最高峰の舞台へ駆け上がる。
BiSHは、相変わらず、BiSHだった。ロックをつかまえたアイドルなんてなかなかいない。これから出てくるかどうかなんて、ほら、ロックの神が天上で笑っているぜ。
誰がなんと言おうと、BiSHは最高だった。
サンキュー、ロックンロール。
サンキュー、BiSH。
個人的には、高知へ移住してきたときのことをよく憶えている。新しい土地への渇望と共に多くの夢や希望を抱いて、飛び込むつもりでやってきたけれど、そこには、知っている人はいない。そもそもが縁すらない土地。見慣れたスーパーがなかった。あるスーパーでは、人の多さとその列に驚いた。ガソリンスタンドすらどこにあるのかわからない。国道に出れば、サーキットのように走っている車列に入らなければならない。引越作業で、大切にしている観葉植物だって、酷く傷ついてもいた。
初日の夜は、こっそりと泣いてしまった。それくらい、心細かった。
そのころ、時期を同じく、BiSHは新アルバム、GOiNG TO DESTRUCTiONをリリースしていた。
「愛こそすべて」と繰り返し歌われる、13トラック目の「broken」。
ここに歌われた、
〝ハローハロー、限りある時間を〟
〝時が止まっている、笑わなくなってからかな〟
〝大事にし過ぎていて、ほんのちょっとのはずみで、壊れちゃうのが怖いんだ〟
そして、
〝愛こそすべて、わかっているはずなのに〟
と、絶唱して、臆病だった自分のことを、壊れちゃうのが怖いんだ、と、締め括られる。
思えば、ファンの理想そのものであろうと完全のアイドルを演じ切った(と思うんだけど)、白石麻衣さんが所属した、乃木坂46とは、まるで違うアイドルだった。
弱々しくて、へたくそで、情けない。無様なまんま、突き上げられた彼女たちの拳は、それに呼応するように、かつてのロックファンすら虜にしたのだ。
解散を発表した彼女らから届いた、ラストアルバム(オリジナルとしての)に歌われた、この曲は、思いもしないほど開けっぴろげで、肯定に満ち、「愛こそすべて」と叫ばれた。
やっぱり、BiSHは、本当にロックンロールそのものだった。
最後の最後まで、結局、へたくそなまんまだったのも、やっぱりパンクだった。
それこそがBiSHだったのだ。
ありがとう、お疲れ様でした。BiSHは久しぶりに、かっこいい、ロックグループだった。
今夜の東京ドーム。所狭しと大暴れする6人の勇姿を、心から願う。
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