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#34 3人への依存から考える「人」との距離感

みなさんにとって、「人」との「距離感」の適正な値は一体どれくらいなのでしょうか?

たて続けに、しばらく会っていない「友人・仲間・知り合い」から「連絡」がありました。

毎回、思うのですが、自分が、「そういえば、しばらく会っていないな~どうしているだろう」と、ふと感じたとき、「タイミング」よく「連絡」がくることが、多いように感じます。

たまにしか会えなくても、長く、しかもいい関係が続く付き合いがあります。
そういう相手とは、ふだんはずいぶん離れています。
でもその距離感が、「会いたいな」という気持ちをずっと保たせてくれるのでしょう。

和田秀樹著『つかず離れずいい関係』より引用

わたしは、この「距離感」が、「苦手」でした。なぜ何か月も「連絡」をくれないのだろう。

嫌われてしまったかな・軽く見られているのかも。そんな思いが、日を追うごとに増していきます。

人間関係が「苦手」で、「3人の幼なじみ」以外の「知り合い」が、長い間いませんでした。

いつも会っていないと「不安」に、なってしまうことが多く「依存」状態に陥っていたのかもしれません。

人と人は、ある程度の距離を置いたほうがほんとうはわかり合えるし、好きな人、愛する人とも長くいい関係が保てること。
 
かりに好きな人、愛する人と別れることがあったとしても、その人を大切に思う気持ちや、自分自身の人生を大切にする気持ちだけは失わないでやっていけるのだということ。
 
そういうことを、心のどこかに留めておくだけでも、「しがみつき」の心理にならずに済むことでしょう。

和田秀樹著『つかず離れずいい関係』より引用

数年前に意を決し、さまざまな「コミュニティー」参加したことで「友人・仲間・知り合い」が増えていきます。

当然ながら、地元の方でないので、物理的にも「距離感」があり、必然的に「数か月に一度」しか会わないことになります。

最近は、この「距離感」を、心地よく感じることがあります。少し「関係性」が、薄いかなと感じることもありますが、いざ会えば「数か月間」は、まるで無かったように、「1日」を楽しむことができます。

近づきすぎる関係というのは、一つでも相手の嫌なところが見えるとそれがどんどん大きくなってしまうのです。
 
「あれも嫌、これも嫌」で嫌悪感だけが膨らんでしまいます。
でもその原因は、相手と密着しすぎ、ふり回されてクタクタになるからです。

和田秀樹著『つかず離れずいい関係』より引用

「友人・仲間・知り合い」が、増たことで「3人の幼なじみ」と会う機会が激減しました。

もちろん嫌いに、なったわけではなく「依存感情やしがみつき」の減少によるものかもしれません。

「特定の人間とくっつきすぎない」ということができるのは周りに好きだと思える人がたくさんいるからです。いろんな人が好きだから、1人に執着しないで済むのです。
 
もう一つ言えるのは、好きな人が多いと、その人に好かれようとしなくて済むということです。
 
~(中略)~
 
1人にだけ執着すると、どうしてもその人に「好かれたい」と願います。それもかなり本気で願います。「どうすれば好かれるか」「どうすれば気に入ってもらえるか」と考え、お世辞を言ったり尽くしたり、話を合わせたりサービスしたりします。

和田秀樹著『つかず離れずいい関係』より引用

「3人の幼なじみ」は、わたしとは違い、多くの「友人・仲間・知り合い」がいます。みな、わたしにだけ「執着」する必要はありませんでした。

わたしも数年前に、少しずつ「自己開示」をしながら一歩踏み出し、多くの「友人・仲間・知り合い」に出会い「数人の幼なじみ」への「依存・しがみつき」から、抜け出すことができたようです。

今いる誰かから「連絡」が来なくて「不安」になっているとしたら、少しずつ「自己開示」しながら、新しい世界(場所)に踏み出してはいかがでしょうか。

わたしも踏み出すことで、「3人の幼なじみ」とあわない時間が多くなっても「不安」が増すことは、無くなりました。

でもふと思います。

「そういえば、しばらく会ってないけど、どうしているかな」と----

そんなことを思っていると、「幼なじみの」から「元気か~」とのメッセージが、わたしも、やっと「適切な距離感」を手に入れることが、できたようです。

#34「生きづらさ」を感じたら!はこちらから

引用させていただいた「本」


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