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相手の人間らしさに目を向けたいなーと思った話

昨日私は2本の対話会に参加しました。

1本目はガイドゲーム
(自分の考え方や捉え方を可視化するカードゲーム)

2本目は「校則について」のLHR
(T-knitというNPO法人の事業のうちの一つの学校教育についての対話事業)

2つの対話会は主催しているコミュニティが違うものの、そこで出た結論は共通していました。

相手の人間性を見て、それを受容する時間が必要

それは「相手の人間性が見えて、それを受容する時間って必要だよね」ということでした。

1本目、2本目共通して出てきたのは「おかしいと思ったことを、おかしいと言い合える環境」が必要だという話になりました。

すごく当たり前の話だと思います。

では、なぜできないのか?

これができていない現状があるのはなぜなのでしょうか?

昨日話している中での一つの結論としては、「立場」が人間関係を築く弊害になっているのではないかということです。

少し極端な言い方をしますと
「上司だから部下を従わせなければいけない」とか
「部下だから従わなければいけない」とか
「先生だから生徒に指導しないといけない」とか
「生徒だから先生の指導に乗らないといけない」とか

そういう枠組みが人間関係を作りにくい一つの要因になってるのではないかと感じたのです。

では、それはどのようにすればできるようになるのか

どうすればできるのでしょうか?
もちろん組織を成立させるためには、一定のルールが必要なのは、百も承知です。
「その部分を崩すべきだ」なんて
少しも思っていません。むしろそこは守るべきだと思います。

私が伝えたいのは、融通がきく部分に関しては
「目の前にいる人と1人の人間として関わりませんか?」
ということです。

上司と部下
先生と生徒

そういう枠組みをぶっ飛ばして、
1人の人として、コミュニケーションをとりませんか?ということです。

お互いの人間性が見える時間を作って、
相手という1人の人間の好きなもの、考え方、性格、行動パターンなどをそっくりそのまま観察していきましょうよ。ということです。

相手を受容するとは?


ありきたりな言葉ですが「完璧な人」なんていません。
そういう時間を作ることで自分と相手の互いの不完全さを受容して、未来を築いていけると思うのです。

学校や会社

そういう枠組みはあれど、中身を作るのは人間です。
そしてその中で生まれる人間関係が人を苦しめることは少なくないと思います。

まずは相手と1人の人間として関わって、不完全さを受け入れて、互いの人間性が見える時間を作っていって、豊かな人間関係を紡いでいきませんか?

最後までお読みいただきありがとうございました。

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