紙の新聞を読もうという話((1)理由・きっかけ)

 2024年に入り、紙の新聞を読むことをルーティーンにすることにした。
 理由というか、きっかけは3つある。

(1)能登半島地震(令和6年能登半島地震)
 1月1日に能登半島地震が発生し、そのことに関する様々な報道がなされたが、インターネット上にはデマや煽動的な情報が溢れていた。TBSラジオの「荻上チキsession」を聞き、なるべく落ち着いて整理された情報を得ようと思ったが、ただ聞くのではなく目から入る情報も大切にしたかった。所謂「耳学問」で終わらせたくなかった。もちろん大手メディアが伝える情報が全て正しいとは思わないし、新聞やラジオだけで全ての情報を得られるとも思っていないが、それでもネット上に氾濫しているものよりははるかにマシなのではないかと考えた。

(2)デジタルデトックス
 この言葉は後から知ったのだが、考えとしては近い。とにかくスマホに触っている時間を減らしたかった。スマホは究極の時間泥棒だと思う。ちょっと何かを検索して情報を得ようとしても、そのままSNSをチェックしたり、見なくてもいい動画を見ていたりする。気付いたら必要のないものを買っていたりもする。(1)につながるが、同じ情報を得るということなら、より質が良いものを、限られた誌面の中に詰め込まれた状態で読んだ方が、はるかに有益だと考えた。

(3)大人たるもの新聞ぐらい読めなくては・・・(カッコつけ)
 かつては通勤電車の中で、大人たちは折り畳んだ新聞を読んでいたような気がする。いつの頃からか、電車の中で漫画を読んでいる大人は「いい歳して・・・」と言われたものだが、最近は全員スマホを見ている。SNSを見たり、漫画を読んだり、ゲームをしたりして時間を潰している。自分もその一部であることはわかっているのだが、やはりそこに違和感があった。その自分自身に対する違和感を多少なりとも払拭したいと思い、「やはり大人たるもの新聞ぐらい読めなくては・・・」と紙の新聞を買って読むことにした。

 何でもとりあえず思いつきで始めてみる性分なのだが、実家が新聞を取っていたり、文字を読むことは苦ではないどころかむしろ楽しめる育ち方?をしているので、楽しみながら二ヶ月ほど続いている。

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