『自律神経から考えるトラウマ パート③』

今回のブログは、『自律神経から考えるトラウマ パート③』です。
ポリヴェーガル理論入門という書籍を参考にさせてもらいながら書いていきます。


さて、パート①パート②で自律神経とトラウマについて述べていきました。

少しおさらいします。
自律神経とは交感神経と副交感神経(迷走神経)、さらに副交感神経には古いものと新しいものの2種類があること。
トラウマと呼ばれるような、過去に直面した困難な場面での反応は、私たちが意図してコントロールすることなく自律神経がその時に最善と思った反応を自動的にしていた。
その反応とは交感神経による闘争/逃走、迷走神経によるシャットダウンがある。
というところまで書かせてもらいました。


では、もう一つの迷走神経とは?
これを今回説明させてもらいます。


従来、自律神経は交感神経と副交感神経の2つであり、それが無意識下で私たちの身体のことをコントロールしていると言われています。
ポリヴェーガル理論では、自律神経はこの2つのみでコントロールしているのではなく、もう一つ哺乳類だけが持つ発生学的に新しい迷走神経を合わせた3つで階層的にコントロールしているとしています。
古くからある迷走神経は背側(はいそく)迷走神経で、主に横隔膜から下の部分で内臓器の制御をしています。
新しい迷走神経は腹側(ふくそく)迷走神経といい、横隔膜から上の部分を制御していて、顔の筋肉や喉、耳の筋肉や心臓に分布しています。
なぜ新たな進化が必要だったか、という点は哺乳類と爬虫類の生活を比べてみると分かりやすいです。
爬虫類は単独で生活することが多いのに対して、哺乳類は集団で生活することがほとんどです。家族で群れをなしたり、もっと大きなコロニーを形成し集団で生活しています。その社会で生きていくために必要なのが他者との関わりになってきます。


他者と生活する中で必要となってくることって何でしょうか?
それは、自分が危険な存在ではないと合図で相手に伝えること、相手が自分にとって危険な存在ではないという合図を受け取ることです。
顔の表情や声の抑揚で内なる感情を相手に伝えようとし、また、相手の声や表情から合図を受け取るというこのやり取りから腹側迷走神経が発達し、哺乳類は他者と協力して生きてく術を身につけていきました。


先ほど自律神経は階層的にコントロールしていると書きましたが、発生学的には一番新しいものが古いものの上位に位置し、支配しています。
腹側迷走神経が交感神経と背側迷走神経の上位に位置し、両方をコントロールしているということになります。

腹側迷走神経が働いて社会性を保っていれば交感神経や背側迷走神経はその中で働いてくれます。
誰かと争う場面、例えばスポーツでは、ルールの中で相手を傷つけず戦うことができているのは社会性が発達したから、と言えます。
生活している中で急激に眠くなり意識がなくなったりすることなく起きていられるのも下位の自律神経をバランスよく支援しコントロールし、場面場面でちょうど良いバランスを保てているから、と言えます。

過度のストレスやトラウマによって、状況に応じた丁度いいバランスが崩れた時、下位の自律神経は暴走して場面にそぐわない反応を起こし身体に色々な症状を出現させてしまいます。


では、腹側迷走神経が働いて社会性を保つのはどういった状態の時なのか?
それは、『他者との間での安全・安心な環境』です。

では、安心・安全を感じるためにはどうすれば?
それは、『安全であるという合図を受け取る・発信する』です。
コミュニケーションを取るとき、相手の表情や抑揚の聞いた声で話しかけられたらあなたはその人は穏やかな状態だと思い、あなたも身体が落ち着き、声や表情も温かく穏やかに会話をするでしょう。
相手に対しても同じように接すると、相手もその合図を受け取りお互いの中に危険がないことを確認できます。


本には『安全であるという合図を受け取る』この力を向上させるエクササイズもありました。ここで紹介しますね。
高周波の歌や音楽を聴くことです。
低い音というのは威嚇や緊張状態の時の声なのでそれは避けて、女性の歌声のような高い音を聴くことが良いと書かれていました。
これにより耳の中にある中耳筋の神経を刺激します。
そうすることで、この筋を制御する脳幹領域という脳の一部分を刺激します。
脳幹領域は腹側迷走神経が通っている場所で、刺激をすることでトレーニングできるそうです。
歌を歌うのも長い呼吸が必要となり迷走神経を刺激します。


ここからは余談です。

相手の表情や声色から感情を読み取り、コミュニケーションに活かすことは人間関係を円滑に進める手助けになりますが
現代においては相手の感情や状況を読み過ぎる、感じ過ぎてしまうという行き過ぎた面もあるかと思います。
あるいは、意図してパフォーマンス的に安心安全を演出するようなことも可能かもしれません。

どちらにせよ、合理性や社会性を追求したものになり、本当に湧き出るような、個人の本来の安心安全の感覚が置き去りになっているところもあるのではないか…と感じたりもします。

それが神経を疲弊させ自分の身体や心も疲れさせているところもあるのではないかと思います。

身体からの正直な声を聞いて理解してあげる。その一つのツールとして今回のブログが役に立てばいいなと思います。



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