日本で反戦でもをやって意味があるの?の声に対して

渋谷でウクライナ人が反戦デモをやっている。嘗て浅間山荘事件の解決に携わった佐々淳行氏は「暴力的に政権を転覆するのは反対だが、今の社会を変えようと、平和を前提として実践することは必要なことである。」というようなことを言ったのを思い出す。
今の日本人で「デモやって本当に意味があるの?」と思っている方が結構多い。その理由は戦争を止める実行力などないからだ。それはよくわかる。
第2次天安門事件でも、中国の若者は結局戦車の前では無力であった。香港でも、イギリスがもたらした自由はなくなった。

しかし今回ばかりは違う。ソビエトが崩壊してエリツィンが政権を取る前、俄ソビエトが生まれたが、戦車の前でモスクワのおばちゃんが怒っていたのを思い出す。周囲も怒っていた。そして数日で暫定政権は終わった。
ロシアでデモが起こるのは、あのときの再来であると成功を確信し、その確率を高めるためにネットで噂をききつけて人が集まってやっているからではないだろうか。逮捕されても自分たちの自由を手にするのだ。その熱気が伝わる。(サンクトペテルブルクでデモをやっているのを見た時、さすがはドストエフスキーを生んだ街だなと感心した)

蔑まれている国内でそんなありさまだから、世界中の人間はなおさら「やってみれば変わるんじゃねぇ?」と思うだろう。
侵攻のスピードをスーパーカーになぞらえれば、反戦のスピードはトレーラーである。過ぎ去っていくのではなくパワフルに確実に人々の心をとらえる。彼らは速攻で解決なんぞ鼻っから思っていない。ゆくゆくは侵攻している国のトップに対して世界規模の軽蔑を望んでいるのだ。これが完成されれば、仮に侵攻している国が勝つと、政権トップの達成感に、市民の失望という歪みがかかり、国の多様な発展がたちゆかなくなる。「あんなみっともないことをした人間の言うこと誰が聞くか。」一つ呟けば、世界中から応援が寄せられる。

そして蔑まれている国ではこんなやり取りさえ出るのではなかろうか。

軍人または警察「休んでないで早く仕事をしろ!」
一般市民「あーら労働者の権利を勝ち取るための闘争をしているの。メーデーなのメーデー。あんたたちがそう仕向けたんでしょ。あんたたちの望むマッカッカの国にしようとしているんだからね。文句ある!」

何千万人が上記のような「赤信号みんなで渡ればこわくない。」を実行すれば国は侵攻のスピードなんてもんではなく、マッハ級に衰退する。
阻止しようと威嚇で催涙弾をぶっ放したら、涙の流れるスピード分だけ軍は激しいもぐらたたきを強いられる。拘束すれば国益を生む国民は市街から姿を消す。単純に考えればみんな刑務所に入れば、国益なんぞはすっからかんだ。まずいから解放しても、また国民が言うことを聞かず刑務所に入る。そんな繰り返しが続いて国がぶっつぶれたとしても、市民は別に痛くも痒くもない。自分たちの目指す国を作ってくれればそれでいいのだ。じゃあ軍人が、全国民の代わりに農家をやって小麦の買い付けをやって大工をやって・・・とハードな労働をさせられたら彼らだって、たまったもんじゃない。

つまりデモで声を上げて自らの主張を訴えることは、国を動かすには到底及ばないが、巨大集団となるとなおざりにしておけば、政権そのものを脅かすモンスターになる。

日本がデモ無用論を提示するのは。即効性にだけ目がいくからである。そしてこの思考が、今のオミクロン対策におけるグローバルな解決を実は阻んでいる。
「早くワクチン来い。」「早く規制を緩和しろ。」こんなことばかり言っている。年単位のグローバルなものの見方を持たない日本の民主主義ってそんなレベルなのね。と西欧から指摘される。日本人はセセラ笑ってかわしても、哲学が生まれない国家の市民なんぞ、エコノミックアニマルだ。と逆に失笑をかう。(どっかの大学出版部の本の中で、日本人オリジナルが殆どないのが証拠。)

日本でもデモに参加したくてもできない人は多い。
私は臆病だから参加できない。でもこう思っているだけでも違うと思う。
「ブリッツクリークを仕掛けた国が、占領したその地を平和維持した試しはない。既にみっともないと世界的な蔑視がじわじわと広まっているのに、まだやる気なのか?知らねぇぞ。」
そして拳をかかげて銃剣を持たず、反戦のシュプレヒコールをあげている人を、応援している。
頑張れ!平和なスタイルで平和を希求するウクライナ市民のみなさん!

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