ドライバーとは武士である

MAZDA787Bといえば「あーあれね。」とうなずく人は多いと思う。1991年ルマン24時間耐久レースで1位を獲得したレーシングカーである。エンジンはロータリーターボ。

MAZDAといえば「ロータリーエンジン」。それにターボを付けて優勝を狙うというのは極めて難しいことであり、無理だとその当時は言われていた。

普通の車はピストンを上下させることで回転をつける。大雑把に言えばガソリンと空気を混ぜたものをプラグという火花を発するもので爆発させてピストンを押し下げる。その反動で戻ってきたのをまた爆発させて押し下げる。見た目から効率は悪い、しかし爆発のタイミングさえ失敗しなければ安定した回転動力が得られ、坂道やカーブで踏ん張りがきく。

一方のロータリーは三角形のローターが側面で爆発してローターを回転させる。回転した分だけダイレクトに回転動力が得られるために平坦な道では恐ろしいほど速いのだが、坂道やカーブではもろにストレスを受けるために、力任せのようにガソリンを大量に使って爆発力を高めなければならない。

 ピストンエンジン(「レシプロエンジン」ともいう)にターボをつけるというのは、確実に高い圧力をエンジンから供給されるため、ターボチャージャーが効果を発揮する。極論を言えばエンジンとターボとを独立して開発しても問題はない。しかしロータリーの場合、上記のようにムラっ気のあるエンジンであるため、ターボチャージャーの効果をひき出すためだけに働くことにもなり、最悪エンジンは止まる。そこには調和という概念がどうしても必要なのである。だからエンジンとターボを一心同体に考えなければならない。

 幾多の課題を克服して、ロータリーターボエンジンはようやく完成した。しかし問題は、ロータリーを効率よく回すドライバーが必要になる。「どこでエンジンの出力をためるようにするか。どこでロータリーの長所である『伸び』のある走りを放つか。」これはエンジンの音や伝わってくる振動によって適正なギヤチェンジと減速ができるような、いわば「職人技」のような資質が必要になる。その職人がジョニー・ハーバードであった。体中に横の「G」を感じながらも、アクセルの踏み具合やギヤの選択をコース走行を細かくコマ切れにして「このシーンではこれくらい、このくらい。」と頭の中でスパコン並みの演算をし、四肢を微妙に動かす。そのストレスで、ジョニーはウイニングラン直後、脱水症状で自力では動けないほどになった。常人ならば「死」である。その死さえも覚悟したジョニーは、恐らく己の野心を捨て、高く唸り声を上げるマシンと向き合うことに専念していたに違いない。最早「武士道」に通じる精神である。

 2011年6月のルマンで、ジョニーは招待されて再び787Bを操った。そのシーンはYouTube動画で確かめることができる。骨董品を扱うような走りはしていない。ぶっちぎるところはぶっちぎる。しかしカーブではきちんとギヤを入れてロータリーの稼働を保っている。面白いのは教習所で教わる「スローイン・ファストアウト」というのを守っているのだ。そしてマシンの音は終始分厚い唸り声をあげていた。やはり謙虚さが漂ってくる。

 ジョニーのマシンに対する謙虚な精神と、日本のモノづくりでは欠かせない「調和」の精神とが一体だったからこそ、優勝ができた。

 昨日の日曜日の朝、高速道路で起きた悲劇は、本来なら競技コースで走る車であるにもかかわらず、それを軽視し、なおかつ「謙虚さ」を排したことで起こった事故である。武士道のかけらもない。私は巻沿いを食わされた被害者の偶然を恨み、ただただ悲しみに暮れている。


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