双極性障害を発症するまで〜単極性鬱その2

双極人のみっちーです。

前回の記事の続きです。

第一子出産後の産後うつっぽい時期を抜け
長女が2歳半を過ぎた頃に
第二子となる次女を無事出産しました。

いわゆる「2人目の余裕」が
生まれていたと思います。

長女の時のような必死感はなく
ニコニコと微笑みながら
新生時期の次女のお世話ができていました。

2歳半の長女の生活リズムが軸になるので
「赤子が欲しがるときに欲しがるだけ」みたいな
昼夜問わずの2時間おきの授乳という概念も捨てました。

赤子のリズムに合わせるというより
長女の生活リズムに赤子を合わせるという感じ。

次女はすんなり合わせてくれたので
本当に助かりました。

そんな次女が生後4ヶ月になる頃に
私の人生の第二次・大殺界(笑)が始まりました。

長女の3歳のお誕生日を目前に控えたある日
長女が夜中から頻繁にトイレに行く日があり
「ママ、お腹が痛い」と言います。

何度も水下痢をしていました。
トイレの間隔がどんどん短くなりました。

腹痛を訴えてから数時間後には
水のような下痢から
体液しか出ていないみたいな感じなり
やがて血が混じるようになりました。

長女はみるみるぐったりしていき、
目も虚ろになり
だんだん意識も保てなくなって・・。

これは只事ではないかもしれないと
自宅近くの小児総合病院の救急に連れていきました。
夜中に症状が出てから12時間後くらいでした。

この後の経緯詳細は今回は省きますが
そのさらに12時間後くらいには
長女は入院していて、
そのさらに12時間後には
ICUで人工呼吸器をつけ生死を彷徨っていました。

長女の病気は、
 O-157感染による溶血性尿毒症でした。
体力のない幼児や年配の方が死に至る病気でした。

長女の病状は最重篤だったようで、担当医から

「大変厳しい状況です。
小さな体がもち堪えられないかもしれません。
もし堪えられた時も、身体や脳に障害が残る可能性は
低くないので、覚悟をしてください」

みたいなお話をされました。

意識がなく人工呼吸器をつけられ
身体中管だらけで体液が抜かれ続けていて
それでも血管から漏れる体液で体が2倍くらいに腫れ上がっていて
ICUの救命救急医からつきっきりで応急処置をされている我が子は
素人の私から見ても、絶体絶命、、、

もう助からないのかもしれない

という考えが
追い出しても追い出しても
脳裏から離れませんでした。

私の命と引き換えにどうかこの子を生かしてほしい

こんな取引を請け負ってくれるのは神様じゃないと思うけど

悪魔でもどんな存在でもいいから
この願いを聴き入れてください
、と

ICUの娘のベッドの傍で願い続けていました。

この長女の闘病については
また長くなりそうなのでまたの機会に。

結論としては、
長女はその後奇跡の回復劇を見せてくれ
2週間後にICUから一般病棟へ移り
1ヶ月後に退院することができました。

心配された脳や身体への後遺症も残らず
腎機能を部分的に失ったものの
当面の間は日常生活を普通に送れるほどに回復しました。

結果めでたしめでたし♪で、本当によかったです!

ただ、後から振り返れば
この長女の1ヶ月の入院中、私は

・一睡もできない
・食欲が全くなく、食事が喉を通らない、固形物を飲み込めない
・頭にもやがかかったように思考が回らない
・呼吸が浅くなり、常に動悸がしている
・頻繁に耳鳴りがする
・三半規管が狂ったのか、常に地面が揺れているような感覚

という状態だったと思います。

渦中の時は、それどころではないので
1ヶ月で5kgくらい体重が減っていることにも
気がつきませんでした。

今振り返っても、
娘がこんなことになってしまったら
自分がこうなっちゃうのは当然のことだった
と思います。

長女退院後も、
長女が回復したことにほっと安堵していたのに
睡眠障害と動悸はずっと続いていました。

この時もやはり明らかな睡眠障害や動悸など
鬱っぽい症状がずっと残っているのに
「鬱」というワードは頭に浮かばず、
メンタルクリニックを受診しようという発想すら
湧いてこなかったのです。

今振り返れば、
あの時「鬱の可能性」に気がついて
メンタルクリニックに行って
早めに睡眠薬の処方を受けていれば
少なくとも、眠れるようになっていたんじゃないかな、、
睡眠障害とこんなに長く付き合うことに
ならなかったんじゃないかな、、
とか、思ってしまいます。。。

本当に不思議ですが
「鬱」という病気や症状について
少しも発想できなかったのです。

ICUで3才の誕生日を迎えた長女と
長女が退院した時に生後五ヶ月になった次女の育児で
慌ただしく日々は過ぎていきました。

その後、私はフルタイムで働きながら
幼稚園+保育園という時期を3年間を経て
長女が小学校へ、次女が幼稚園に上がった2019年初夏に
人生2回目の大殺界のメインイベントが起きました。

長女が通う小学校の通学路で
多数の死傷者が出る事件が起きたのです。

詳細は省きますが、幸い長女は無事でした。

しかし、親しいお友達が多数被害に遭い
身近な人の命が突然に奪われたり
傷つけられたりしたこの理不尽な出来事に
私の心も相当なダメージを負いました。

当時小学一年生だった長女は
事件から1ヶ月間くらい
なかなか寝付けず、寝ても何度も目が覚めてしまったり
食欲がなく普段の半分も食べられない日が続きました。

私もまた眠れなくなり、
食べ物が喉を通らない、飲み込もうとしても
喉に詰まってしまうような状態が続きました。

この時は
「このままだと鬱になってしまうかも」と気がつき
すぐにメンタルクリニックに行きました。

睡眠薬と抗不安薬を処方してもらいました。

この時点では「鬱」との診断はまだできず
ショックな出来事の後の予想される普通の反応
の範囲、という診断だったのではないかと思います。

気を張り詰めていないと
鬱に落ちるんじゃないか、みたいな
いつもどこかしら不安を抱えていたと思います。

幸い無事だった私たちがしっかりしなきゃ!
みんなを元気付けていかなきゃ!
みたいな、意識があったように思います。

自分で意図的にテンションを高めに保っている、
みたいな感覚を持っていました。

今思うと、この時にはもう「躁」に入っていたのかもしれません。

こんな日々が過ぎ、
事件から2ヶ月が経とうという頃に
私にとってもう一つの爆弾級のショッキングなイベントが起きました。

双子の妹が突然倒れ、
「骨髄移植」
という話が出てきました。

長くなってしまったので、
次回に続きを書きたいと思います。

ながーい投稿を最後までお読みくださりありがとうございました。

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