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飼育日記「めだかのきもち」菖蒲咲🌱グリーンウォーターが消える🥾武相荘探訪

不思議に思っていたことがある。

一日中陽の当たるところにあるトロ舟のグリーンウォーターが、徐々に薄くなり、今では緑の色が皆無になっている。片や、午後は日陰になる2つのトロ舟の方は、緑茶の色を保っている。どういうわけなのか、調べてみた。

太陽光線が強い程、食物プランクトンが育ち、グリーンウォーターが濃くなる、と思っていたが、それほど単純ではないらしい。

太陽の働きで食物プランクトンは増えるのだが、同時に水草も育つことになる。そして、食物プランクトンと水草は拮抗する関係にある。…📖

全てが腑に落ちた。

日向のトロ舟のアナカリスはぐんぐん茎を伸ばし、毎日花を咲かせている。アサザも良く生育、葉を大きく広げてメダカの日陰を作っている。メダカが泳ぐスペースが侵食されないよう、毎朝トリミングが必要なほどだ。

水草の勢いで 食物プランクトンは劣勢に
水が透き通り 底まで見通せ
生まれたばかりのヌマエビの様子も 観察できる

日照時間が短いトロ舟では、アサザの葉は一向に大きくならない。アナカリスも花は付けるが、トリミングが必要なほど茎が伸びる様子はない。

こちらは 食物プランクトンが優勢
水は濃い抹茶色で 下の方のメダカの姿は見えない 

自然界にある微妙なバランス関係には、びっくりさせられる。どちらがメダカにとって良い環境なのだろうか。

🌱アサザの大きな葉は灼熱の日差しからメダカを守ってくれる。隠れ場所にもなる。水草のイキイキした緑は飼育者の目にも楽しい。

🌱でも、グリーンウォーターの環境では針子の生存率が高い。成魚も針子も飢えることはない。

水草と食物プランクトン…上手く共存する手立てはないものか。

             👒

町田市にある、白洲次郎・正子夫妻の旧宅「武相荘」を訪れるのは久々だった。Openしたばかりの頃、数回行ったきりで、四半世紀振りくらいになるか。周囲は開発が進んでおり、この一角だけが東京郊外のかつての佇まいを残している。

茅葺き屋根の手前の壁面は漆喰が塗られ
南欧の田舎家の風情
南の縁側に回れば 多摩地域の農家の典型的な作り
私の生家もそっくりだった
夫妻の夏の着物 生活道具
竹藪も 良く手入れが行き届き 散策路へ誘う
正子さんが集めた古いものが庭のそこここに
次郎氏が作業場にしていた小屋の二階も展示場

Open当初と比べて、緻密によく整理された展示物が、スマートに配置されている、と感じた。

1951年、サンフランシスコ講和会議に吉田茂首相の顧問として随行した白洲次郎が、平和条約調印後、外務省が用意した、吉田茂の受諾演説の英語原稿を一読して怒り、内容を大幅に書き直し、日本語でするべきだと主張。抵抗する外務省役人に、中華街で和紙を調達させ、毛筆で書かせた。繋げると30メートル、巻くと直径10センチにもなる原稿は、外国記者に「トイレットペーパー」と揶揄された。毛筆のにじみがある、現物が展示されていた。

流暢なキングズイングリッシュで、GHQと堂々と渡り合い、要人から「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれた白洲次郎の波瀾万丈の生涯、正子の美意識、ご夫婦の来し方が、写真や図録、書棚、暮らしの道具類により、興味深く伝わってくる。

年を重ねるごとに魅力が増していく次郎氏の端正な面差し、佇まい…改めて見入ってしまった。

かつては開発を急いで雑然とした周辺に違和感があり、残念な印象があったが、周囲の住宅や建物も年月を経て、落ち着きを見せており、小一時間ほどの心地良い探訪だった。

             🍽

車で10分程の距離にある食事処「霜月亭」も、四半世紀振りだった。車通勤していた頃、仕事がひと段落した後など、何度か食事に訪れたが、ずっとご無沙汰していた。車でないと行きずらい。

川縁の木立の中に立つ 隠れ家のような洋館 
誰かの家に招かれるよう
吹き抜けの高い天井 窓越しの緑が落ち着く
どのテーブルもリラックスして 品の良い大人の空間
お箸で食す ランチのフルコース
美味しくいただきました

コロナの3年間で閉店した店も多い中、変わらず寛げる雰囲気と、美味しい食事を提供してくれる場所だったのが嬉しい。

町田市は、住宅地が広がってきたけれど、まだ蛍の乱舞が見られる谷戸田だったり、今日の探訪先のような、静かで落ち着く場所も点在している。我が街と雰囲気は異なるけれど、東京郊外の、同じ文化圏だと、そこここで感じる。

秋になったら、また訪れてみたいと思う。


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