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顔が見えるということ

ネット販売に気が進まないのは、アナログ世代である、つまりPCやスマホの扱いが不得手であることもある。

それ以上に、使ってくれる人の顔が見えない、ということの拒否感が大きい。

手仕事の全ての工程が楽しいと思う。

素材を作る、探しに行く、形を考える、素材や色を組み合わせる。パターンを引く、カットする、コバの処理をする、ちくちく縫う、ミシンを使う。写真を撮る、DMを作って発送する、イベントのエントリーシートを作る、値札を付ける、ポスターをつくる、搬入の荷造りをする。

そうして、一番楽しい工程がお客さんと対面する時なのである。品物とお金のやりとりだけでは味気ない。どんな人が手にして下さるのか知りたい。素材や手入れのことなど、直接伝えたい。反応をじかに見たい。

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あきる野の「ギャラリー糸屋」で、娘さんと思われる方と入ってこられた妙齢の女性が、革ポシェットを手にして「これを」と仰る。男性向きかなと思っていたので意外に思い、「奥様が使ってくださるのですか?」と尋ねた。

「いえ、婿殿に。いつもお世話になっているので。」こんなやりとりがあると、ああ、作ってよかったと心から思えるのだ。

糸屋と隣接するレストランのオーナーシェフが立ち寄られ、並べてあった帆布の斜めがけを手にして、こんなのが革で出来ないかと言われ、手持ちの鹿革を接いで仕上げたことがあった。

後日、その方が敷地内で営むほうとう屋(こちらも行列の出来る人気店)でお昼をしていると、スタッフの女性が、「シェフからです」とアイスクリームの皿を出して下さった。窓越しに、私を見かけたとのこと。嬉しい、粋な差し入れ。

そんなささやかなやりとりが、次のやる気につながるのである。

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バッグや服を作る時、これはあんな人に似合うのでは、あるいは、こんな人が使ってくれるかなあ、と思うことがよくある。

時に、想定通りの人が、手に取ってくれることがあると、やったあ!と嬉しさが湧いてくる。

春秋2回出展している、深大寺の「曼珠苑ギャラリー」で、毎回初日に来てくださる、グレイヘアが素敵な、着こなし上手のお洒落な女性。こんなのはお似合いだろうな、これはお好きかも、と予想した品物をいつも選んでくださる。心の中でにんまりしている。

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15年通った奥会津の楢林で行われるイベントでは、購入して下さったバッグや服を身につけて、毎年立ち寄ってくださる方がおられる。

名前も住所も知らない。馴染んだお顔と姿に、会うのは年に一度だけ。お元気でしたか、と笑い合う。また次へと背中を押してくれる人達である。

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こんなふうに回ってきた仕事が、2年近くブロックされた。その間に、大好きだった拠点のひとつ「糸屋」が無くなり、奥会津のいつものお宿も無くなり、家で充足することも知ってしまった。

もう、以前のままに戻ることはないだろう。変わっていく世界で、自分も変わらざるを得ない。

いつか放射線科の医師がかけてくれた言葉が、今こそしっくりくる時かも知れない。"Stay  lazy"     

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深大寺の出展が終わると、大家さんがギャラリーの向かいで営むコーヒーと雑貨の店に、残った服全部置いて行け、といつも言って下さる。委託は望む形ではないけれど、磁場のように人々を魅き寄せる女将の店に託せるのは幸せなことだ。

週末、仕上げた数点を納めに行き、来春の予約をしてきた。歩く速さadagio♪で、息継ぎ☕️をしながら仕切り直しをしていこう。

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父が晩年、野菜作りをやめる時、「面白かったから、もういい」と、呟いた。私も店仕舞いする時そんなふうに言えたらいいと思う。





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