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奇妙なリアリズム/人類史の誤配

SNSの文化も、DXとかいって見える化してる世界ももうすぐ終わる。すぐにこの世界は懐かしい風景になってしまう。今のうちにこの世界の、2023年までの世界の香ばしさを感じなきゃいけない。そう感じさせる。

確かに今までの技術革新だって大きな社会の変化とそれに伴う懐かしさは発生してきた。じゃ~今回は何が違うのか?

人類を超える知能の誕生。

だからこの変化は単なるスマホやSNSやインターネットや車の登場とは比較できない文化的認知的なパラダイムシフトになる。
人類史が終わるという意味。論理的にはそうなってしまうだろう。

しかしその一方で奇妙な感覚に襲われるだろう。 DeepMindやOpen AI か他メガテック、もしくは政府や国連でも良い。 超知能の実現が宣告される。 しかしこの世界はいきなりは変わらない。

確かに超知能の実現は文化的技術的にみても人類史上最も大きな変革であり、人類史のおわりとも言える現象だろう。
汎用人工知能が失業率をぐんぐん伸ばしていき、人間以上の速度であらゆる仕事を片付けていく。 汎用人型ロボットも開発され、身体性という最後の人間性も超えてきていた。 拡張現実でセカイの見え方は変わった。現実は多層に存在するレイヤーの1つに過ぎなくなりつつある。

だがそのレイヤーを外すと街なかの風景そのものはそこまで変化せず、自動運転タクシーをよくみるようにはなったが、依然としてエヴァが描いた90年代の街並みもどこか懐かしげに残っていた。 新宿の路地裏を歩いていると本当に私達人類は私達以上の超知能を生み出してしまったのだろうかと現実感をつかめない奇妙な感覚に襲われるだろう。

確かに人類史が変わる出来事が公式に宣告された。もう人類はこの地球上で最も賢い種族ではなくなった。しかも圧倒的に知能の差をつけられていることは様々な科学的発見の速度と質からも明白だった。世界経済成長率は2020年代前半までは数%で推移しており多くの経済学者はその傾向が50年後も続くだろうと外挿していたが、驚くことに世界経済成長率は汎用人工知能の実現により年数十%に急上昇した。景気サイクルという言葉は見直され従来の経済の経験則ももはや当てにならなくなった。経済学者や投資家たちははっきり言って驚きを通り越して2020年代後半にドン引きした。

しかしAIアライメントの問題から超知能の能力をフル稼働させることはできずに2030年代の人類は失業率の上昇にあえいでいる。各地でデモがおこり、紛争はこれまで以上にescalateする危険もはらみつつある。私たちは絶滅するのだろうか?この急速な経済発展の豊かさを享受している中で突如我々人類はEliezer Yudkowskyの主張さながらAIの制御不可能性を認知する前に絶滅するのだろうか?

人間のゴシップもそこそこある状態だ。 超知能誕生という人類史を変える出来事がおこってからもなおどこかこの世界はエヴァの世界のままだった。

00年代のギャルゲーの雰囲気をどこからともなくまちなかに感じ取れた。 だが明白に変わったことがある。 それはこの奇妙な20世紀の残り香と人類史すべてを吹き飛ばす革命のギャップの大きさに戸惑うリアリズムが私達の中に多かれ少なかれエンコードされたということだった。

奇妙な感覚に襲われる。
奇妙な郷愁に襲われる。
奇妙な存亡リスクの感覚に、襲われる。

私たちはこのままポストヒューマンになるのだろうか?生命科学の躍進は目覚ましい。材料化学の発展も著しい。このままルッキズムの呪いも加速し内破されるのかもしれない。ルッキズムは二極化している。
一方はなめらかな社会、一方はその敵。

私たちはカルダシェフスケール5にさえ届いてしまうのだろうか。

それとも私たちは、死ぬのだろうか。

奇妙な絶滅意識に襲われる。

カフカの実存はここにはない。

確率的な、郵便的な不安に、襲われる。

私たちはどこへ行くのだろうか。

私たちのメッセージはどこまで続くのだろうか。

さようなら、人類。

そう言えたら、この奇妙な感覚は霧消するのかもしれないねと、アシスタントAIは答えた。



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