見出し画像

ボロボロのランドセルと輝く私

昨日の記事で「姉のランドセルのお下がりを率先して選んだ」とあったが本当は新しいものが欲しいのに親の顔色を見てそうしたのか? という質問をいただいた。
答えはNO。本当に率先してお下がりを選んだのである。

これは私のうつ病の根底にあるコンプレックスとリンクしているのでちょっと掘り下げてみる。

▼昨日の記事

新品のランドセルを拒絶する奇妙な幼児

うちは貧乏というわけではない。
親や祖父母はランドセルを買ってあげるといってくれたし、むしろ「頼むから買わせてくれ」といったのを拒絶したのだ。
それはなぜか。

当時、私は赤やピンク系の色と革製品が大嫌いで、ランドセルじたいダサいと思っていた。
また昨日の記事「うつ病的食欲論」でも述べたとおり極度のドケチ思想の持ち主である。
よって、欲しくもないものに高いお金を払うのは非常にもったいないと思った。

5歳にしてはちょっと変わっていたと今では感じる。

ボロボロだけどピカピカな小学生

新入生といえばピカピカのランドセル。
そんななかひとり6年間すでに使い古されたランドセルを背負って登校していた私は奇異の目で見られていたのかもしれない。

でも私は恥ずかしいと思ったことが一切なかった。
6年間それを背負って堂々と通い続けた。
あんなボロボロをもたせるなんて恥ずかしいと祖父母のほうが心配していたそうだ。

他にもオモチャや服などはほとんどおねだりしたことがない。
そのせいで可愛げがない偏屈な娘だとよくいわれていた。

このように私は非常にこだわりの強い子どもであったし、よくいえば一本筋の通った人間である。
ただ、孤独な子ども時代を送っていたのも確かだ。
流行にまったく興味がないのでテレビも漫画もほとんど見ないため友達とは話が合わず。
田舎で中学受験もないのに勉強熱心な子どもであった。
正直なところ同級生のなかではかなり浮いていたと思う。

しかし小学校では先生が平等に扱ってくれたため私の変態性は目立たず居心地がよかった。

優等生というラベルを貼られた中学生

中学生になると面倒な人付き合いを避けるためにますますひたすら勉強をした。
女子に多い仲良しグループから逃げるようにして。
怒られるのが面倒なので宿題は完璧にやり、校則もきっちり守る。
成績はいつもトップ。

すると先生から「ザ・優等生」というラベルを貼られた。
何かにつけて「びおさんを見習いなさい」みたいな指導方針になっていたのだ。

すると同級生からは仲間はずれというか、住む世界の違う人みたいに扱われることになった。

たとえば「何を話してるの」と訊くと「びおちゃんみたいな真面目な人には話せないようなくだらない話」と何度もいわれた。
ちょっと寂しかったけど私は余計に勉強に打ち込んだ。

実際の私はくだらない話が大好き。
リアルではそれを阻害され優等生であることを期待されて実行し、だんだんと心の扉を閉めるようになった。

逆学歴コンプレックス

高校はいわゆる進学校に入り、そこからは気の合う仲間ができた。
好きな勉強に思う存分に浸った結果、いわゆる良い大学に入った。
そこには私のような変態が数多く生息していたので居心地はまあまあであった。

ところが社会に出るとまた生きづらい世界が待っていた。

会社に入ると先輩社員みんなが私の出身大学をなぜか知っていた。
よってどこに行っても学歴がついてまわることに。

女のくせに俺より良い大学を出やがってと妬まれることも多いし、何か良いことをするとさすが〇〇卒、失敗すると〇〇卒なのに、といわれる。
私という個人ではなく常に大学名が評価に入ってくるような感じ。
ありのままの私として扱ってくれることが少なくなっていた。

向こうは冗談や褒め言葉的に使っているのかもしれないが私は勉強が唯一の居場所だったので頑張っていただけ。
もとはただのど田舎出身の変態だしできないこともわからないこともたくさんあるわけで。

私はいわゆるASD傾向があってこだわりが強く融通がきかなかったり他人の気持ちを推し量るのが苦手だったりするのだけれど。
勉強は努力したぶんだけテストの点として跳ね返ってくれるし他人からの評価としてもわかりやすい。

たまたま発達特性の凹凸と社会から評価されやすい軸が一致していただけであり決して完璧な人間ではないけれど、いわゆる良い大学や良い会社に入ることはできたわけで。

でも社会に放り込まれるといろんな軸をもった人間としての勝負になる。
評価軸が増えるっていうのかな。

本当に優秀な人だったら栄養バランスみたいなグラフが円に近いのだろうが私の場合は多軸になると凸凹が目立ってくる
そこのところに“優秀”な(あくまで括弧つきの)びおさんというラベルを貼られて、そうあらねば、社会の要請に応えねばと勝手に頑張った結果が病気なのかもしれないと思っている。

私のうつ病の根底にはこうしたちょっと変な方向に窮屈な人生が関係している。

以上、ボロボロのランドセルを背負って堂々と登校していた頃が一番輝いていたというお話。
それをありのまま認めてくれていた当時の先生方に感謝である。

いいなと思ったら応援しよう!